今年も米国ハワイ州マウイ島に来ている.昨年2月の「なぜ円は安くなったか」の投稿から8ヶ月後に為替相場は歴史的な円安を記録した.2月は地球上で2番目に知能の高い生き物の繁殖シーズンで,ラハイナにはMartin Lawrenceがあってもワイキキには同水準のギャラリーは存在しないのは,単に”知っているかどうか”を超えた真の(知的)情報格差の顕著な分断を表している.この理解の深さを伴う「情報格差」を「教養格差」と呼ぶことにすると,世界はすでに指数的な差をつけている.マルサス的な考察をすれば,英文による「知識」の増加量は日本語のそれに対し「幾何級数的」に増大してきたからだ.幸い,テクノロジーは一昔前の世代とは比べ物にならないほど,グローバルな知へのアクセス可能性と効率的な運用ツールを提供する.だから,未来を担う世代は,それらを駆使し,古い方法論を捨て去り,コーカソイドと互角に議論できる水準の英語運用能力クリエイティブクラスの能力を早期に身につけ,日本を出ることだ.

 私たちの奇妙な形をした島国では11月に経済産業省によって大企業幹部を責任者とする半導体の合併会社が設立された.このプロジェクトは成功するだろうか.政策決定者らは,ポーズとしては「スタートアップ」を掲げつつ(10年前に西海岸で「スタートアップ」を始めた僕からすれば今からルーズソックスという感じだ.当時この言葉は日本で通じなかった.あとAIも通じなかった),依然として既成大企業という実質的な国家事業体の寄り合いに託生する構図を続けている点で「グローバル化」を掲げながら実態は留学生数を増やすといった分かりやすい目標だけが設定される形式主義に即座に陥るのは「教養格差」に依る(かなり柔らかく表現している).

 今回の記事では「コンピューターの未来」,とりわけマイクロプロセッサの未来に向けた戦略 – どのようなマイクロプロセッサとその周辺産業を作るべきか – についてやや専門的なレベルで考察する.プロセッサ性能の基本と歴史を概観しながら,5~10年後のコンピューティングに求められる需要予測とアーキテクチャの設計,そして日本が勝つための戦略を論じる.主に省庁の官僚や政策決定者,半導体産業に関わる経営幹部等の意思決定者に向けたものだが,コンピューターを勉強中の人々への励ましのメッセージでもある.尚,「コンピューター」とは古典コンピューターのことだが,最近論文も著した量子コンピューターについての考察は別の機会に書くことにする.数学的には古典計算機は量子計算機の特殊ケースだ.

そして,以下の内容を読んでも理解できなかった半導体産業に関わる意思決定者や政策決定者がいるとしたら,僕に連絡して下さい.まず,ムーアの法則を概観するところから始めよう.

 

ムーアの法則終焉後もプロセッサ性能は向上する

 1970年代初頭IBMのロバート・N・デナードによるトランジスタスケーリングの基本レシピによればトランジスタサイズを1/k(~= 0.7, k=√2)倍にすると,プロセッサの主要なパラメーターごとのスケーリングファクターは

・寸法 1/k (面積 (1/k)^2 ~= 0.5 倍)
・遅延 1/k (周波数 k ~= 1.4)倍
・電源電圧 1/k

となり,したがって,(1) トランジスタの寸法を30%(0.7倍)縮小すると面積は50%縮小し,トランジスタ密度は2倍になる.(2) それに伴い性能は約40%向上(遅延0.7倍,周波数1.4 倍)し,(3) 電源電圧を 30%低減し,エネルギーを65%,電力を50%削減する.まとめると,集積度は2倍,40%高速化し,消費電力は変わらない.

 そしてムーアの法則の経験的観測では,(1) トランジスタ数は約24ヶ月で2倍, (2) 20年間で1000倍の性能向上,を実現し,例えば1971年のIntel 4004では1 coreキャッシュなしトランジスタ数23Kだったのが,7年後のIntel 8008では1 coreキャッシュなしトランジスタ数29K,そこから21年後にはIntel Nehalem-EXが8コア24MBキャッシュトランジスタ数2.3Bへと進化した.2015年のOracle SPARC M7では32コア10Bトランジスタとなり,コア数が増大してきた.これには後述するように,ムーアの法則によってトランジスタの集積度は向上する一方で,シングルスレッド性能はすでに横ばいであり,トランジスタの速度とエネルギーはほとんど改善されないことから,エネルギー最適化された大規模な並列処理が性能改善の主要なポテンシャルとなっているためである.

 したがって,コンピューターの性能向上を考える上では,シングルスレッド性能はほとんど改善されず,エネルギーが性能を左右するという前提に立つ必要がある.そのためにはシングルスレッド性能の高い大型コアと低周波・低電圧だが性能の低い小型コアを多数組み合わせるアプローチや,暗号エンジンやメディアコーデックに特化したアクセラレータや動的に変更可能なFPGA等のカスタマイズハードウェアの利用などが有効である.例えばエネルギー効率が特に考慮されるモバイル端末のSoCでは数十またはそれ以上のアクセラレータを搭載することでエネルギー効率と性能のバランスをとることができる.また,メモリ階層を移動したりプロセッサ間でデータを同期させるためにもエネルギーは消費されるため,プロセッサ・ダイ上でのデータ移動に関するエネルギーの最適化も性能向上に寄与する.

 まずはここまでが昨今のマイクロプロセッサの性能を考える上での基本的な原則である.

 

究極のマイクロプロセッサは原理的に存在しない

 1971年に最初の商用マイクロプロセッサ「Intel 4004」が登場して以来,マイクロプロセッサのアーキテクチャは複数の系統が生まれては集約したり分岐したりを繰り返し,今も統一されていないし,これからもそうだろう.なぜか.プロセッサが単一のアーキテクチャに集約する可能性のあったイベントとして,歴史上,最も示唆的なのは,1980年代初頭カリフォルニア大学バークレー校とスタンフォード大学パロアルト校で開発され,C言語,UNIX,大学などの研究成果を基に,それ以前の複雑化したCISC(Complex Instruction Set Computer)への反動としての新たなオープンなアーキテクチャパラダイムを作ったRISCマイクロプロセッサである.MIPSの設計者ステファン・プルジブスキによれば,RISCとは「1985年以降に設計されたあらゆるコンピューター」である.

 RISCプロジェクトは同時代やそれ以前のCISCプロセッサとは異なり,マイクロコードやメモリからメモリへの命令をもたない固定長の32ビット命令,大きな汎用レジスタ,パイプラインなどの第2第3世代のマ イクロプロセッサを定義する特徴を備え,1命令あたりのクロックサイクル(CPI)を一般的なCISCの3~4サイクルに対し1サイクルに短縮した.大きなレジスタファイルベースの設計は,コンパイルされたプログラムの命令使用特性を徹底的に分析し得られた”頻繁に使用される命令のサブセットは極めて限定的である”という洞察によるものである.RISCが開発されるとインテルやモトローラなど当時のワークステーションメーカーは自社のアーキテクチャを捨てて独自のRISC CPUを設計し,それらは驚くほど互いに似ていた.従来のアーキテクチャとの互換性を必要としないことから,ARMや日立製作所など組み込み用のニッチな用途をターゲットにしたRISCベンダーが登場した.RISCの思想はコンピューター・アーキテクチャーの世界で確固たる地位を築いていた.

 それでもプロセッサが分岐を続けた理由は,プロセッサの成功は技術的なメリットよりもそれを使用するシステムの数量に大きく依存することに依る.システムの数量の決定要因は市場であり,市場を決定するのはアプリケーションである.例えば,1974年にモトローラがマイクロプロセッサー市場に参入したとき,主要な用途はゼネラルモーターズやフォード向けの自動車市場だった.1974年に発表された8ビットのRCA 1802の最も重要な用途は, NASAの宇宙探索機7機であった.1977年に発表されたApple IIは表計算VisiCalcによって市場に浸透した.使用されるシステムの数量によってプロセッサの成功が決まる原則は以降も変わらない.1980年代以降のデスクトップ市場ではソフトウェア業界が次々と多くの機能を開発することで,エンドユーザーは高いパフォーマンスを求め,汎用機のためのより高性能なマイクロプロセッサの需要が増加した.そして汎用機が主役になる1980年代半ば以降では,互換性が求められるコスト重視のPC市場と,価格は二の次で性能重視のワークステーション市場に分岐する.前者はオープンスタンダードを採用し何百ものメーカーが低価格のコンピューターを生産できるようにしたx86プラットフォームによるIBM互換機が市場を席巻する中,RISCはUNIXワークステーションをターゲットにした後者に属し,両者は異なる需要を満たし共存した.さらに1990年代前半に登場した第2世代のRISCプロセッサは,ベンダごとに異なる機能が採用され,第1世代との類似点はもはやなくなり,RISC自体も分岐していく.この頃,x86もRISCの考え方を多く取り入れており,CISCやRISCの区別は重要ではなくなっていた.

 こうして需要の変遷とともに複数のアーキテクチャが生まれは,決して一つに集約しないのは,CPUの性能を上げるにはCPIを下げる,プログラムの命令数を減らす,クロック周期を短くするなどの工夫が必要であり,どれか一つの要素を減らすと他の要素が増えてしまう原理的なトレードオフがあるためである.RISC CPUの対照的な設計を表すAlpha21064とPowerPC601は,前者は高速なクロックとシンプルな命令セット,後者は各クロックで多くの処理を行う強力な命令を持ち,重視する観点次第で各々が異なる設計と特徴を持つ.性能がトレードオフにある限り究極のプロセッサは原理的に存在しないのなら,需要が分岐する限り,プロセッサもまた異なるアーキテクチャに分岐し続けるだろう.

 

高速なメモリはコンピューターの性能を向上するか

 マイクロプロセッサの性能向上に対し,データの局所性に基づき必要な帯域幅と低レイテンシを提供するメモリ階層化技術が発達してきた.これによりキャッシュ階層の上位レベルで,メモリサイズと速度は最適化され,結果上位レベルのメモリのみ高価・高速であればそれ以上の大幅な性能差は生じない.この効率的なメモリ階層の実現が大量の高価・高速メモリを搭載したコンピューターが大きな性能向上を示さない主な理由である.歴史的には,プロセッサとメモリ間の速度バランスはシーソーゲームであり,求められる性能も変化してきた.プロセッサのクロック速度が平坦化する以前は特に,メモリ階層の出現によりDRAMに重視されていたのは速度よりもコストあたりの容量だった.これにはダイ上に搭載できるDRAMの面積と予算が有限であることも背景にある.プロセッサとメモリ間の速度差が拡大すると,キャッシュ階層レベルは1階層から2~3階層となり両者のバランスは保たれた.シングルスレッド性能が頭打ちになるとディープパイプラインをはじめとするコアマイクロアーキテクチャの追加実装に性能向上は依存し始める一方,これらの技術はエネルギー効率が悪く,やがて非ディープパイプラインへ回帰し,キャッシュサイズを増やす方が効率が良いとされるようになった.結果,DRAMに割かれるコストや面積は増加した.

 こうして,主に効率的なメモリ階層技術によってプロセッサとメモリ間の速度差のバランスが保たれてきたが,メモリ密度はほぼ2年ごとに倍増する傾向にある一方でメモリ速度向上は緩やかであるから,大規模で高速なキャッシュに依存した1980年代後半のRISC CPUアーキテクチャのように,設計や用途次第ではメモリ速度が性能のボトルネックとなる可能性がある.したがってこれらのバランスが保たれている限りでは,高性能メモリを大量に搭載することによる性能向上は限定的かつ有限である.

 

日本の半導体産業が勝つ方法

 我が国の半導体産業の特徴は装置材料の低レイヤー市場で世界シェアを持つ一方,設計や製造の技術は韓国や台湾に移転し上部レイヤーは空洞化した.”半導体自給率”は将来,食料自給率やエネルギー自給率同様に先進諸国の指標となり,設計製造市場を再び取り戻すにはTSMCのファウンダリモデルやサムスンのメモリ半導体モデルなど,特定市場かつ未成熟領域に特化し始めるのが妥当な戦略である.後述するように,FPGAをはじめプログラマブルなマイクロプロセッサの大規模な需要増加が予測され,事実,インテルは2015年にFPGA大手のアルテラを買収,AMDは2020年に同じくFPGAに強みをもつザイリンクスを買収している.既にコンピューターメーカーとなった自動車産業が自社でSoCの設計を内製し,全産業が独自に最適化したプロセッサを必要とする時代に突入しつつある一方で,有限なエネルギー予算の中でエネルギー効率を追求することが性能向上の究極のドライバーとなった今,大規模な並列処理ルーチンを固定機能アクセラレータに準じる動的にプログラム可能なプロセッサに分散させることでエネルギー効率と処理速度を最大化し,これがデータセンターにおいてもエッジコンピューティングにおいても常識となる未来がごく自然に推論されるからである.したがって必要なのは,超分散カスタマイズロジック時代の固定機能コアまたはプログラマブルコアおよびそれらを管理または設計する統合システムである.

 一方,我が国の半導体製造技術は戦略性と機密リテラシーの欠如により知的財産を他国に安易に流出させてきた.特に定年等で退職する技術者の情報流出を防ぐための厳格な機密契約を入社段階で結び,中核技術はあえて特許公開しないか各国での同時知財化を徹底するといった基礎的な情報機密化措置を民間企業の自主性に委ねず法的規制で義務とすることは,国策として検討に値する.

 半導体産業を焼野原から作るには,装置材料分野の国内資源や生きた研究資源を活用しつつ,プロセッサの成功とは使用するシステムの数量に依存するという原則を踏まえ,上述した統合システム,例えばソフトウェアルーチンの固定機能コア化を実現するシステムプラットフォームを開発しながら,同時に10nm未満の設計ルールを実現する半導体ファウンドリーをも兼ね備えた企業を,既存企業でなく新たな新興企業として経済的に支援し育成していくことが望まれる.その前提段階として,産業を牽引する潜在的人材層への啓蒙,すなわち希少な学術エリートコンピューター人材を,流行に捉われず本質的な価値の創造へと向かわせる価値観の醸成,コミュニティが鍵になるだろう.

 

 

 


大塚一輝 Blog - なぜ円は安くなったか

(2022年2月18日ラハイナにて)

ラハイナは天国への寄港地のような場所で、米国ハワイ州のメインランドから飛行機で東に40分飛んだ離島マウイの南岸にある。

島で最古のコアの木が円形に広がるバンヤンコートの周辺、フロント通りには、朝も夜もバンド演奏が穏やかに鳴り、みな日々追いかけてくるものを忘れ、空と山々と海の運ぶ空気に包まれている。

3千キロ四方に大きな陸地の存在しない、この世界で最も孤立した場所は科学研究の言わずと知れたメッカで、火山島として誕生した7500万年前から5万年ごとに1種が飛来、生態系に適合し、ポリネシア人が到達した1500万年前から数千種が新たに持ち込まれ、6千種の独自の種と、わずか一島に冷帯気候以外のすべての気候環境を有した、稀有な環境を形成する。下降気流と適度な偏西風は青い空と乾いた風と色鮮やかなブーゲンビリアをありふれたものにし、かくしてこの地は楽園となった。

人々は人生の仕事をやり終えたとき、物心がついた頃から背負ってきた期待や知識、欲望を捨て、シンプルな生活に回帰する。多くの生物種に生の段階があるように、人間にもそれがある。ただ、人間の場合は、それを選択することができる。

ここから車で1時間ほど東に海岸線を走ると人静かなマーラエアの港がある。

老婦人にベーグルをオイル少なめで焼いたサニーエッグ付きで作ってもらい、シングルビーンのコーヒーを一杯飲んで段取りを整理してから97番目のスリップに停まる船に乗る。クルーの話では,電話ごしに滑らかに笑うオーナーの妻は日本人らしい。どこか特別な親しみを感じ取れるのは、70年代の外貨交換規制緩和とバブル経済で全旅行者の48%をも占めた顧客としての記憶というよりは、戦前のマルチエスニック社会で4割を占めた日系人の血を引く人々が、今も10%以上も存在する因果に依るのかもしれない。合衆国併合前のたかだか200年前は超大国スペインが覇権を争った。歴史は瞬きするような時間で様相を様変わりさせる。

シリコンバレーに居た2011年頃、円相場は1ドル75円の最高値を記録した。それから約10年が経ち、円は1.5倍のオーダーで安くなった。国内で物価変動を実感することは稀だが、海外では何もかもが割高になった。なぜこのようなことになったのだろうか。

2001年の小泉政権下での量的緩和開始以降、それまで同等に推移していたドル円の購買力平価と実勢相場の差が拡大を続けた。輸出物価の購買力平価 (インフレ率や貿量額で重みづけし、一物一価の法則が成り立つ時の為替相場を算出した指標)は通貨の実質的な購買力を表す。2022年現在、1ドル=113~116円の為替レートに対し、1ドル=60~70円*だから円は実力の6割しか出せていないことになる。日銀はインフレ目標を達成するために量的緩和を繰り返してきたが、マネタリーベースと物価が無関係であることは結論が出ている。実際、日銀も2003年にゼロ金利下での量的緩和、マネタリーベース・チャネルとその経済効果を検証した論文**を公開しており、そこでは明確に、マネタリーベースを増やしても効果は極めて限定的かつ不確実である、と結論付けている。

* 国際通貨研究所のデータによる

**「The effect of the increase in the monetary base on Japan’s economy at zero interest rates: an empirical analysis」

にも関わらず、2006年の解除後、再び2013年の第二次安倍内閣発足とともに量的緩和は再開、金融政策は自民党政権に屯する御用経済学者らのプレイグラウンドとなった。彼らは悪くない。多分国家のことを考えて真剣に取り組んでいる。ただ、少し思考の問題で、複雑なシステムを捉えられず、単純化したモデルが現実に当て嵌まると、思い込んでしまっているのだ。

悪貨は良貨を駆逐し、そして通貨は供給される。

過剰なマネーサプライは通貨安だけでなく金利の低下を生み、円で借りリスク資産に投機する流れを生む。実際に2009年のゼロ金利下でサブプライムローンなどドル建ての債権が、元は低金利で借りた円で買われた状況がこれに当たる。結果、バブルは崩壊し、幸いにもリーマンショック後に無事円は買い戻されたが、この清算に海外投資家が失敗した場合、円を用立てした日本の金融機関は最終的なババを引き破綻する潜在的なリスクを負っている。日本の無担保コールレート(金利)は今もほぼゼロに近く、先進国の中でもスイスに並び異常に低い。リスク資産が買われると当然資産価格は上昇する。市場にはマネーが溢れているしリスクプレミアムも下がっているから価格はさらに上昇し、バブルが形成される。そしていつか必ず破れる。こうした余剰マネーを集める投機的資産の本来価値はずっと低く、需要を維持しつづけることはないからだ。

だから、マネーサプライを過剰に続ける限り、バブルは今も膨らんでいる。2010年代に膨らんだ分は、パンデミックで解消するタイミングが流れ、ゲージは2周目に入ってしまった。次に崩壊する時はその分、影響力もいっそう大きいだろう。

それでも円安で景気が良くなる、といった議論が未だ消えないのは、循環する経済の流れの局所を見てそれが全体最適だという錯覚に陥っていることに依る。百万円で物を売る時、1ドル=百円なら1ドルが手に入るが、1ドル=五十円なら2ドルが手に入り、輸出を善とする価値観では正義でも、こうした重商主義は18世紀に片が付いている。

円が弱く、購買力が低いことのミクロな弊害は、潜在的なリーダーが国内に引き留められ、その影響は質的に無視できない。日本はゆとり教育改革でエリートと非エリートの詰め込み負担を減らしたが、平等主義に忖度し、能力階層差に分離することを拒んだことで無に帰し、エリート層の脱近代化に失敗した。賢明な親は子を国外に遣ろうとする。弱い円はそれを困難にする。都市非都市間の情報格差は埋まったが、今や将来世代の経済格差は私塾より英語圏での国外教育の可否という形で現れる。安い円は個人や企業を国内に引き留める。

私たちの奇妙な形をした島国は、ある種の楽園でありながら、平等主義と日和見主義の蔓延する桃源郷となった。私は母国を愛しているが、英語圏で日本人と会話することは、次第に耐え難さを増している。この傾向は他言語能力に比例し強まるはずだから、円の供給と違って以後緩和することはない。トッドが「世界の多様性」で論証したように日本とドイツは5つの家族構造の中で直系に属する。世界経済の中でGDPの推移も産業構造も類似したこれらの国に感じる共通した感覚は閉塞感と無関係でなく、デバッグ可能な社会制度というより、出荷時に書き込まれる不揮発性のプログラムのような、幼少期を過ぎるまでに確立する人間の性分に起因する可能性が高い。だとすれば想像以上に問題は根深く、正常な感覚を保ち続けるためには、移動し続けることが何より重要だ。

クイーン・カーフマニュセンターでバスを待っている間に話しかけてきたブロンドの人懐こいアメリカ人女性カトリーナは、シアトルからの直行便でバケーションで来ていて意気投合した。日本が好きかと聞くので、「日本は愛しているが安全過ぎて退屈な社会だ」と言うと、何それおかしい、と言うように笑った。

2019年の初頭、INF条約に違反しロシアが中距離核戦力ミサイル発射システムの開発を開始した際、超大国の終焉が近いこと、ロシアと中国、北朝鮮らのリスクの高まりを論じた。

(20年後の世界と取り残される人々 激動の時代の始まり、塗り替えられる勢力図)

その後、同様に危機意識を持つ人物はこの国には見つけることはなかった。

そして先週、西側が派兵をしないと宣言するや勝機と見たロシアはウクライナへの侵攻を開始した。米国の経済力と軍事力を背景にした安全保障による世界平和のレジームは終焉し、新しい時代に突入したことに、世界は気づき始めた。ウクライナは核戦力を放棄して手に入れたはずの安全保障が無効だったと知り、EU加盟に救いを求めた。この傾向は巨大テック企業からの徴税が益々困難なことに由来する、民主主義国家の脆弱性による超大国の終焉によって、さらに加速する。

非民主主義国家中国には軍事力経済力ともに覇権国家に接近しながら、これまでの米国の役割を代替する意志はない。北京のリーダーは2023年に迫る全人代があるため慎重な姿勢を取るだろう。それでももし彼らが動いた時、世界は混沌の渦に包まれることを覚悟しなければならない。

そして日本は地政学的に重要な場所に位置し、また核戦力を放棄して安全保障の傘下に入った点でウクライナと相似である。北方領土に侵攻されたとしても主権領域外としてNATOによる防衛機能は動かないだろう。

百年にも満たなかった、平和の時代の終焉、超大国に身を委ねれば平和でいられた時代は、歴史の行間に存在する儚いひとときであった。

私たちは閉ざされた世界から脱し、自分自身の足と目と思考で、真実を知る感覚を研ぎ澄ませている必要がある。

*ウクライナ問題については3/1に追記


大塚一輝Blog - 20年後の世界と取り残される人々 激動の時代の始まり、塗り替えられる勢力図

カイロは西のピラミッドを望むギザ地区から、2011年にナダルの事実上独裁政権を降ろしたエジプト革命の中心地スクエアを通り、西の新都市ニューカイロまで100kmほど車で横断すると、5000年の人類の歴史をパノラマで見ているようで感慨深い。

東に進むほど道路脇の看板は英語で書かれ、まるで南国リゾート地のようなパースが並び、背後の砂漠がリゾート地に変わることを夢見させる。

2013年のクーデター以降、シシ政権下で生まれた都市だ。ここにユダヤが流入し、10年後にはドバイに並ぶ中東の中心都市となるだろう。

彼らの顧客は世界に開かれている。

この観光客のほとんど訪れることのないEl Shoroukエリアに住むのは多くが多国籍企業に勤める人々だ。

彼らは思考様式も顔つきも所作も、西側の人々とはまるで異なる。

こうした人々と話をしていると、その土地に依拠した仕事をする人々、世界企業コミュニティ、グローバルクリエイティブな個人(超ノマド)、の3つの階層に人々は分断されつつあるのが明白になる。国際社会では英語で母国語同等の速度で自分のアイデアを話せなければ重要な人物とはみなされない。

世界が急速に変化している中で、今や先進国の中で取り残されつつあるのがヨーロッパと日本だ。

今、ほとんど戦争と言えるほどの激動さをもって世界の情勢が様変わりを始めている。

名目GDPはIMF World Economic Outlook Database(2017)によれば、

  • 1位 米国19兆ドル
  • 2位 中国12兆ドル
  • 3位 日本5兆ドル

であり、中国が米国に追従しているかのように見える。

しかし、物価の差を考慮した購買力平価(PPP)ベースでは2014年には中国は米国を抜きトップになっている。最新のランクは、

  • 1位 中国23兆ドル
  • 2位 米国19兆ドル
  • 3位 インド9兆ドル
  • 4位 日本5兆ドル

成長率では米国2%に対し中国7%であるから、名目GDPでも数年以内に米国を抜く可能性が高い。

GDPは単に経済的な競争力を示すものではない。GDPが重要なのは、その余剰が軍備に回され軍事力に転換される点にある。

中国はすでに戦闘艦艇の数で米国の約2倍を保有している。対艦攻撃力ではアメリカ軍を超えたと言われ、PPPベースのGDPで米国を抜いた2014年には南シナ海に7つの人工島の建設を開始、2018年までの4年間で米軍の接近を阻止する地対艦ミサイルを配備、南シナの制圧をほぼ完了させている。

2018年、韓国文政権は米国の意向を無視し北朝鮮と連帯を強める政策に出た。朝鮮半島は特にロシアの南下を脅威としていた帝国主義の時代までは米国にとって地政学的に重要だったが今はそうではない。ロシアの影響力が低下した今ではその地理的優位性は下がり、米韓同盟がアメリカの国益において重要でなくなった。

トランプ政権はこのため朝鮮半島からの撤退を示唆しており、在韓米軍は2019年に撤退する可能性がある。

同時に経済力軍事力ともに米国と互角となった中国、および中国が援助する核兵器というカードを持った北朝鮮の2国間との連帯を強める方が韓国文政権にとって得策と見ているのだろう。韓国はより中国に歩み寄る。

3国内で中国が交渉力をもっているから、中国の地理的弱点である半島の南西側の平地に壁を作る目的で38度線を維持する力学が働き南北朝鮮統一は行われない。

中国は北朝鮮と韓国への支援を続け、この3国は独立を維持したまま連帯する。

在韓米軍撤退のシナリオでは中国への牽制力が弱まり中国側に好機をもたらす。

技術力では中国はソフトウェア、韓国はハードウェアと通信で世界トップであり、核ミサイル技術をもつ北朝鮮を傘下におくことで合法的に核武装も完了している。

データ主導のソフトウェア時代では民主主義国家よりも独裁に近い国家が有利である。

日本がもつ唯一のカードは米国に地理的に極東の軍事拠点を提供することであった。

一方で2018年10月には7年ぶりに日本政府の中国への公式訪問が行われ日中協調路線を復活させたように見えるが、中国政府にとってこれが建前に過ぎないのは国家主導による経団連へのサイバー攻撃からも明らかだ。

日米保安条約の限りでは日本の領土への米軍基地提供に選択権はないが、台湾と同様軍事的に対中姿勢を取るか、米中のパワーバランスに従って軸足を調整する戦略をとる以外にない。

いずれにしてもこれまで同様プラグマティズムに終始する。

朝鮮半島からの米軍の撤退如何が鍵になるだろう。

世界は急速に変化している。

個人ができることは、いつ没落するとも知れない国家やローカル文化に依存しない普遍的な力を手に入れ、世界とつながることだ。

より具体的には、言語、テクノロジー、グローバル感覚、の3つの力が必要だ。

日本語圏でのコミュニケーションの殆どがローカルでしか通用しないコンテキストで構成されてしまっているから、まずはここから脱却するところからはじまる。

そして数万大規模のコンピュータクラスタによって世界の情報を処理できるシステムを自国の内部に持たない国家は情報テクノロジーで優位に立つことはなく、新たな帝国主義の時代が来るにつれ属国となるより道はない。

劇的な変化は10年以内に少なくない確率で訪れる。20年後にはまるで違う風景が待っているだろう。


野生の思考

2012/09/23

サンフランシスコ電子音楽祭り

先月台北にいたときには約1年ぶりにゴルフをして、改めて奇異なスポーツだなと思ったのと同時に、アングロサクソン的だとも感じた。クラブに球を当てるときの初動が全てで、後は飛んでいく球に委ねられる。米の栽培や茶のようにプロセスに手を尽くす文化をもった日本人にはこういうスポーツはスポーツとして成立させられなかったはずである。

 

日本には本当に何でもある。何でもあるというのは、必要なものが全て揃っているというよりもごく稀にしか必要とされないものですら流通していて、割と簡単に手に入るというニュアンスに近い。ここアメリカではあれば便利だがなくてもどうにかなるものは多くないし、誰が買うのか全く想像がつかないようなものはあまり売っていない。

何でもあるということは本来ポジティブな面であるはずなのだが、しかしそれらを生産するのに使われる膨大な人的資源を考えれば実際にはデメリットとなっている。明らかに非効率だからである。日本人の勤勉さはかなりの部分が余剰的な価値単価の低いものに使われ、それはゴルフで言うところの初動がいたるところで誤っているからに他ならない。

これを正す最善の手段は学術的な水準を上げる以外にはないだろう。

 

 

9月の第二週にサンフランシスコ市内で行われた電子音楽祭では、いい意味でなく現代芸術化するシーンの一端を見たような感慨を受けた。

少なくとも以前はcomposeとはパズルのピースを一片の狂いもなく埋めるパーフェクトデザインを指していた。今はcomposeとdesign(DJ)の境界が曖昧である。複雑さと微細さが人間の考案する組織-システム-に追いつかなくなったために、そして記録と再生が遥かに容易になったために、かつて主流であった”完成”という態度を暫定的にでも諦めてやり過ごしている。抽象絵画の黎明期にはサロンでは常識的な態度であるFiniに対立した作家が新しい時代の勃興を勝ち取っているが、根本的に視覚芸術と原理が異なる音響芸術との比較はできない。レヴィ=ストロースの言葉を借りれば「栽培された思考」であるところのcomposeと「野生の思考」であるdesign、要はブリコラージュのような方法こそが主流になっていくのであろうか。

 

そういうわけで、こうした時代にあっては、構造のための理論的な支柱がないがゆえに必然的に見堪えのあるところは音の生成の過程となる。その意味で際立っていたのはJemes Feiだった。彼は台湾出身である。 現代的な楽器のインターフェイスはしばしば、アウトプットと身体性との距離が大きいのでコントロールがより難しい。そしてコントロールを諦めたことが露呈したその瞬間、興が冷めるわけである。身体性から切り離されるほどに、そして情報エレクトロニクスの技術が進んだ結果考慮すべき要素が次第に複雑かつ微細になるほどに、音は人間のコントロール下から当然離れていく。Jhon CageのChance Operationという概念はまさにこのコントロール不能となりゆく傾向に対し、それでも人間はコントロールしているのだと言い張るアカデミックな権威の皮を借りた正当化を許されようとする諦めに他ならない。 こうした一時しのぎを通過しながら、歴史は次なる概念を導入する必要に迫られる。

 

近年の傾向を集約して延長すれば和声と旋律が融解し音程感から自由になった「ビート」のようなものに集約されていくのだろうか。だとしたら、あまりに退屈である。