日本人はアートの見方を知らないと言われる。

それは小さい頃から美術館を訪れる機会を作るような教育の習慣がないことが一因であるし、何より見方を教えられる大人がほとんどいない。

人並み以上の教養がある大人で例えばモネが好きとか印象派が好きとかいう人はそれなりにいてもなぜ好きなのかという問いに客観的な説得力をもって子供に伝えられる人はそう多くないだろう。

一言で言えばアートを鑑賞する力はリファレンスの量と質で決まる。

リファレンスとは歴史であり、その作品あるいは作家がその時代のそのシーンの中でなぜ意味を持つことが出来たのかということだと思う。

マティスがマティスたり得たのは、ひとつには形態が持つ量感の、単純な線で構成したスケッチによる徹底した追求から抽象絵画の道を切り開き、またそれゆえにピカソらのキューブによる幾何学的で単純な抽象化とは線の世界において一見似ていても全くの異質さを放っている点にある。

現代アートになる程この傾向は強い。なぜなら歴史の中でその作品が存在するまでに存在していたn個からそれが存在することによってnがn+1になったときその作品は歴史の内部での存在意義を持ち、nは歴史とともに増えるからだ。

映画や音楽やその他のあらゆる芸術においても、もっといえばアートと呼ばれることの無いあらゆるものについても同じだろう。

Aを知っていることが教養ではない。BやCやDによってAを知っていることが教養である。

 

 

現代アートの置かれた美術館を訪れたとき、作品を他の作品群や時代背景などの何重ものレイヤーが可能な限りのバリエーションで重ねられたレンズを通して観るように、ある土地を訪れた時、目の前に見える風景を超えた多くのレイヤー、つまりその土地の歴史や産業的位置づけなどといったレイヤーを通して見ることで楽しさは何倍にも増す。

 

また多くの場合完成とともに固定化する芸術作品と違って、幸い土地は移り変わりまた私たちも自分の歴史を持っている。

それゆえある土地に行くのに本当に楽しいのは時間が経った後二度目に訪れる時だ。

だから出来るだけ若いうちに世界を廻り多くの場所を訪れておくのがいい。


中学の頃友達が水槽でグッピーを飼っていた。

グッピーは赤い餌を食べると体が赤く変色し、青い餌を食べると青いグッピーになった。体の色をコントロールされた赤と青のグッピーが入り混じる水槽は、人為的に自然が操作された神秘的な世界として映った。

 

もし仮に世の中のグッピーが赤い餌だけを食べていたらどうだろう?全ての水槽のグッピーが赤であるとき、彼らの水槽内という市場での価値は一律に下がるはずだ。

あるグッピーは他の色のグッピーによって絶対的な美しさを増している。

少なくともインターネット内では(いずれクラウドが巨大化するにつれ国家のような役割を演ずるかもしれないが)、国境は限りなく曖昧になり、それが均質化を産んでいる。かつて衛星からのネットワークを使って世界に放映しアメリカンカルチャーを急速に浸透させたMTVのように。

つまり国境はないことが善という考え方が一般的だがそうは思わない。むしろ国境のようなものがもっと密にあったほうがいい。国境の優れた機能は制度をローカルごとに設定し異なる文化圏が作られる点だ。

それは赤い餌を食べるグッピーと青い餌を食べるグッピーをつくる行為に他ならない。

 

産業が効率化するにつれ必要な労働は減り、グローバル化で文化は均質化する。だから世界的な雇用悪化と富の集中は当然の帰結だ。効率化とは異次元の文化的価値こそ俵の代替として重要で、差異は文化を生むから論理的に、差異を生む国境は皆が豊かになるために重要だ 。


自分の頭で考える、というのはこれまでは主に、客観的に見ても本当に合理的な答えを知るために与えられた情報を鵜呑みにしないことだった。

高度情報化社会では他の誰でもなく己が何を求めているかに真摯になることがむしろ自分の頭で考えるということになってくる。

 

すでにある程度合理的な答えが決まっている問題、例えば言われたことをそのまま受け入れて実行すると経済的に不利益を被るような場合、多くは正しい答えを導くための情報を持っているかで決まる。あらゆるリファレンス的なものも含めて基本的で重要な情報は簡単に手に入るからハードルは下がってきている。

 

社会が複雑になってくると答えを主観的に評価するしかない場面が多くなる。客観的にみて合理的な答えを出すのに必要なパラメータが多すぎたり、多すぎるがために主観に大きく依る、そういう構造の問題が増えるから。社会の構造と価値観が複雑多様になるにつれて答えを出すために自分で定義すべき要素は多くなる。

 

自分が何を求めているのかを突き詰めて意識下に置いていなければ、ある問題を考えるのに肝心な要素を知らない間に他人に委ねてしまう。

このことに成功した人がこれからの時代を豊かに生きていける。


予算とスケジュールは絶対法。越えるものを作ろうとしてはならない。
テーマが決まると作りたいもののイメージが沸々と湧いてくる。インスピレーションが刺激され、クリエイター魂が燃える瞬間のひとつである。
しかし、そこであなたがシャワーを浴びている間にどんなにクールなアイデアを思いついたとしても、1.予算、2.スケジュール(1と2は往々に不可分だったりするのだが)、つまりこれらをリソースと呼ぶことにするならば、リソースを越えるアイデアには絶対に手を出してはいけない。

それがフレッシュな水飛沫の中でアドレナリンを迸らせたどんなにクールに思えるアイデアでもだ。なぜならばリソースを越えた辺りから、当初のモチベーションを維持するのが困難になり始める。
クールなアイデアを実現させる過程では、うんざりするほどの地道な作業が付きものだ。その苦労を精神的にも物質的にも完成まで支えられる環境を確保し続けられるだけのリソースの余裕が必要であり、そのひとつである報酬があなたの労に見合わないと思えてしまった途端にモチベーションが瓦解し始めるだろう。
仮にあなたが十分に身銭を切れるほどの潤沢なリソースを持っていたり、あるいはVCから50万ドルの出資を受け、世界を変えるプロダクトを開発しようとしているならそれでもいい。周囲に迷惑を懸けない範囲で思う存分傑作に汗かくべきだ。
そうでないならば、そのクールなアイデアは次の機会のために温め、時がきたら実現させればいい。その頃にはとるに足らないものに思えているかもしれないし、より洗練されたものに深化しているかもしれない。
具体的にはリソースの範囲内で量より質の発想から小さくとも高いクオリティで一転突破するのが得策だ。


東日本大震災が起こったとき東京にいた。

当初原発の影響が懸念されていたため、知人のつてで九州に避難場所を確保してくれるという話が出たが、祖母が福島県に住んでいることから可能な限りあらゆる情報ソースを漁り、原子力発電所の構造的欠陥がどこにありそれによる放射能や放射性物質による健康被害のリスクがどれほどのものであるのか科学的に考察した結果、移動の必要は無いと判断したので結局断った。

 

私たちはどこにいてもその土地に潜むリスクを抱えている。

世界規模でマネークラッシュが次々に起きている今では自然災害よりも金融危機のようなシステマティックな災害の方が衝突の可能性は高いかもしれない。

ちなみに世界的な金融危機の今後の動向に対する考察はそのうち書こうと思う。

そうした突如起こるかもしれない種々のリスクを回避するには何より即座に移動を可能にする機動力、つまり土地依存度を下げることが必須なのは言うまでもないが、移動後の生活環境を考えたときに移動先に知人がいるのといないのでは状況は全く異なる。

 

幸い私はあるまとまった期間をヨーロッパ各地で過ごしていたので、そこで得た友人に頼み込めば住む場所と簡単な仕事の紹介くらいは確保できるだろう。

もちろん逆の立場となった場合には手厚くサポートしたいと考えている。

 

そうした災害リスクのようなネガティブな面だけでなく、世界にはその時代に応じてホットな都市、いわゆる中心都市と呼ばれるものがあり、例えば今ならアメリカ西海岸のように最先端の産業が栄える都市が形成するネットワークに参加するためにも移動可能な範囲を増やしておくことは重要だ。

 

人脈、仕事、言語を含む適応のための文化的な基礎の3つを有することができた土地を「拠点」と呼んでいる。

 

個人的に今最もリスクの少ない土地は南半球の特に東南アジア諸国とオセアニアだと考えている。

来年の初頭に東南アジアに拠点をつくり、同時に中心都市であるアメリカ西海岸に移動するための言語的支柱をつくるのが今後のプランである。

 

中心都市は金融業が興った19世紀以降、ジェノバ→アムステルダム→ロンドン→ボストン→ニューヨーク→サンフランシスコと移行してきた。

これは移民の流れに準じており、大局的にはヨーロッパから北アメリカ大陸への移行とみることができる。

 

とはいえ生きてきた四半世紀をアメリカ全盛時代に過ごしてきた者としてはこの変化を実感を伴ってイメージすることは難しいのだが、今後四半世紀のうちにアメリカ帝国終焉とアジアへの中心都市の移動を目の当たりにするのだろう。

 

そのとき中心都市となる場所はどこだろう。


 

一番強いものが生き残るわけではない。一番賢いものが生き残るわけでもない。変化に適応できるものが生き残るのだ。 – Charles Darwin

 

全ての生物はその進化の成り立ちから考えて環境依存度が高く、人間もその限りでない。環境に適応することが生き残るための絶対条件だからである。

逆に言えば環境ごとに生き残る生物の特徴は異なってくる。

つまり環境がそこにいる者の特徴を形づくる。

だから適応すべき環境は絶対的に重要である。

 

もし自分のありたい姿を実現したければ、どんなに優れた自己啓発書を読み自己を変化させようと試みるよりも、その理想とする自分の姿こそ環境の適者となる、そういった環境に移行することの方が合理的だ。

 

ただしどんな環境にも適応すべき部分を持っている可能性があることを忘れてはならない。

同時に環境は変化するものだから、適応すべきでないと感じたときに変えられる機動力は常に確保しておかなければならない。

 

 


生存意欲

2011/11/29

狩猟採集時代は至ってシンプルだった。植物性タンパク質を含めた、獲物を穫る能力が高いものが生き残った。

今は獲物の穫り方や獲物そのものが複雑になった。それでも生存にかける意欲は変わらない。たとえ猿と人の間でも。

そのように思っていたときがあった。しかし今ではその認識は偽であると思っている。

この社会はその総体において生存意欲を失っている。

 

農耕文化が発達すると富の生産は一部の経験のあるものに委ねられる。

そうなると他の者は余剰となった時間で別の産業を生み出し、発達させる。

その繰り返しで個々の産業は高度化し、やがて大規模設備に依存した大量生産の方法が生まれる。

生産社会の構成員は持つ者と持たない者に別れていき、資産と時間的蓄積を持たない若年者は通常持たない者となる。

生産形態が社会の中でシステム化するにつれ、持たない者はその社会の内部にいる限り持つ者に依存せざるを得なくなる。

そうして大人たちは若年層をコントロールする力を持つようになる。

産業の規模が小さく親の後を継ぐことで生産手段を手に入れた時代もあったが、

現代は他人が他人を選び生産手段を与えることが一般化した社会である。

当然選ぶのは大人であり、若年層は大人たちの基準によって選択され生産手段が与えられる。

言い換えれば、高度に他者に依存した社会システムということになる。

 

依存状態は危機感を希薄にし希薄化した危機感は生存意欲の衰退に直結する。

この国が今後どうなるかは即ち、生き残る、という最もベーシックな危機感をリアルな数でどれだけの人が持ち維持できるかによると思っている。


自称するのは憚られたが、現実的な理由から「あるノマドの記録」というタイトルにすることにした。

アクセスが一定数を越えたら変更しようと考えている。

せっかくなので、ジャック・アタリの『21世紀の歴史』から次の一節を引用する。

– 1945年から1965年までの20年間、電気の動力のおかげで、ニューヨークは世界最大の都市になった。…新たな消費財は、ノマド、またの名を「個人の自由」を尊重する市場経済の発展を加速させた。1947年に電池とトランジスタという画期的な技術革新が、ラジオとレコードプレーヤーの携帯型を生み出した。これは大革命であった。というのは、これらの登場により、若者たちはダンスホール以外、つまり親の目の届かないところでもダンスに興じることができるようになったからである…

21世紀の現在、携帯可能な情報機器は、新しい世代が旧世代の支配するゲームから抜け出し、自由と自立を獲得するための道具となった。

おとなしく乗っていさえすればいずれは甘い汁を吸うことができると約束されたレールから逸脱し、自分達の力で富を生み出すことを可能にした。

世の中に蔓延する不正と既得権益による壁を突破し、疲弊した社会の慣習にはノーと言う。

先人の築いてきたものには素直に敬意を示すべきだが、体制が新世代の犠牲によって保身を図ろうとする現実にもまた素直に抵抗すべきだ。

芸術は若者の手で創られる    -ジャン・コクトー

私たちは自由への誘いには乗らない。自分達の手で作り出したいと思っている。

既成のドレスでは踊れないから、パーティーには参加しない。

Don’t be made to dance ,dance for your self.