Ice under the bridge 3 – Thailand

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タイ、バンコクからマレーシア、バターワース行きの列車に乗っている。
バターワースはタイ国鉄とマレー鉄道の中継点であるが、バターワースからはクアラルンプールまでKTMを使う。マレー鉄道KTMは3月に貨物列車が脱線した影響でシンガポールまで運行しておらず現在クルアーン止まりだからだ。
因みに広告コピーでしばしば使われる、「マレー鉄道で半島縦断」は嘘である。マレー半島の陸路での縦断はタイ国鉄とマレー鉄道あるいはバスの組み合わせで可能になる。

バンコク、Pratunam地域はきってのショッピングエリアとだけあって平日でも活気がある。特に服屋は数、量、価格ともに卸市のようでありバイヤーなら何日もいられるだろう。タクシーに乗れば日本人と分かるやメーターを止めて運賃交渉に入るほど商売気が湧いている。そのため少々疲れることもある。

先日FacebookがInstergramを買収した。同社にとって過去最大級の買収であり、またこれまでの人員確保のためのそれとは違いサービス自体の吸収を目的にしている。よく競争相手として上がるGoogleがすでに多くのサービスを飲み込み、検索エンジンを入口としたコングロマリット型のサービスを展開してきたのと異なり、FacebookはこれまであくまでFacebook自体の改良と他社との連携という形で発展してきた。Facebook対Googleというタームが正しいかはさておき、売り上げ規模もまだ桁違いの両社はようやく比較の土俵に上がり得た段階にあるのかもしれない。勢力図はますます集約化が進むだろう。

4/11執筆

Ice under the bridge 2 – Philippines

3/13のManila Bulletinによればフィリピン政府銀行は次年度の予算における外国からの借り入れを20%程減らし、より積極的な外貨獲得に向かう方針とのことである。これは同国の経済状況が上向きにあることを示している。

一方で知人から聞く限り確かに平均所得は徐々に上がっているが、一般の労働者の給与は以前低く、月2回あるpaydayで得た収入は日々の生活コストで殆どが消えてしまう。政府からの借り入れは容易なので足りなければ少額の融資に頼り、年間で分割して希釈された額を返していく。物価も徐々に上がっているため経済成長の実感は一般の生活者にはほとんどない。ここCebu Cityでは一部の良質な新しいサービスの大半は外国からの来訪者のためのものであり、価格も現地人には届きにくいものである。いずれもGaisanoやAyalaといった中国人ファミリーや韓国資本によって出資されている。こうしたサービスの従事者はサービス価値に反して一般的な現地労働者と変わらないため、結局のところ経営部門が収益の大半を持っていってしまうという構造になっている。つまり資本投下によって発展しつつある経済の利益享受者はあくまで外資系の参入者と政府のみで、市民には還元されていないのが現状だ。
グローバリゼーションとはいえ同一労働同一賃金とは単なる逸話に過ぎないのだろうか。

Cebuanoの知人の中に看護を専門とする二人の女性がいる。彼女達は病院が併設された医療系の同じ大学を卒業した同期であり、そしてそれぞれアメリカンでGEのCPAをしているフィアンセとコリアンの彼氏を持っている。一人は6月から米国の医療機関で働くことになっており、もう一人はトロントの医療機関で働く機会を手にしている。二人とも当然英語はネイティブのように話し、移転後の賃金はもちろん現地の労働者と同一である。こうしたことは水面下で進行しているかに見えるが、それは我々が日本人であるからに過ぎないのかもしれない。いずれにしてもすでに当たり前であるかまたは目を開けた頃にはすでにより当たり前になっているだろう。

つまり想定される将来とは、障壁は言語のみであり、障壁の少ない地域間において先進地域に後進地域からの一部のスペシャリストが集中する。技術、特に科学的なスキルとそして移動の活発化に伴いより比率が高まる国際結婚が橋渡しになっている。と書いていて疑問に思ってしまった。こんなことはとうの昔から起こっていたのではないか。ただ特異な言語を使う島国に住んでいたためにその実感を得る機会が希少だったにということにすぎないのだろう。

日本とは未だ精神的に鎖国を続けている国なのかもしれない。そしてその方針に迎合する個人以外は早く外に向うべきだろう。でないと本当にエキサイティングな世界から置いていかれてしまう。

3/18執筆

Ice under the bridge 1 – Korea

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セブのモバイルショップは殆どがSamsungかLGである。隅にさり気なくSony Ericsonがあるくらいだ。
ここでは数年前はSony Ericssonのデバイスが人気だった。NOKIAもそこそこ人気があった。今は完全にSamsungかLGである。価格が安いわりに機能性が高くデザインも優れていると認知されているからだ。NokiaやSamsungやLGのデバイスに対しSony EricssonのSDカードの規格だけが独自規格であり、こういうことが地味に消費者離れを招いている。一方で主要ホテルのフロントのコンピュータは殆どがSamsungであり、顧客の方を向く裏側のデザインまで配慮されているところを見るとユーザーのニーズを汲んだ戦略がシェアに結びついていると推測される。

車もHyundaiやKIAは安くデザイン性が優れていると思われているが、予算のあるPhilipinoは日本車を買う。ブランドイメージが高く品質への信頼があるからだ。家電でも同じで日本製のものは壊れにくいというイメージが定着している。しかし車は工業時代のものでエレクトロニクスでは圧倒的にKorea勢が制している。
郵便局など公共システムのIT化は遅れているが、近々ここにも韓国が介入する。資金力の脆弱な東南アジア諸国にこうしたインフラを提供するのは購買目的ではなく、資源を得る契約を交すためである。直接マネーを得ることだけがビジネスじゃないということだ。

要はこれらのことはどれも日本が工業化時代に影響力を持ち、情報とエレクトロニクスの時代で他国に席を渡しつつある歴史の変遷を映し出している。デザイン性云々はともかく少なくとも製造コストの削減とユーザー志向のプロダクト設計(これらはどこにリソースを集中させるかという点では通じる)に成功しなければ瞬く間にアジアの中での存在感を失うだろう。

かつてアメリカがハリウッドやMTVなどのエンターテイメントを浸透させ、マクドナルドなどを進出させることで覇権を獲得したのと同様の戦略を韓国は着々と進めている。
少なくとも大衆メディア向けエンターテイメントや先端産業に関わるクリエイターのレベルの高さと、それを波及させる戦略性は日本をとっくに凌駕しているので、鎖国しているだけでは根本的な解決にはならないことは言うまでもない。ハリウッドムービーが世界に波及し始めた頃、フランスは制限を加え国家的に自国コンテンツの割合を保とうとした。結果的にアメリカナイズに向かわず、グローバル経済が進むほど価値を持つ文化的優位性を後世まで維持し続けたとしたら正しかったといえるだろうが、情報が容易に海を渡る現在ではもはや囲い込むことに意味はない。外に向けて発信し、フィードバックを元にまた発信するという以外にないのである。
日本がアジアでトップだった頃はPhilipinoの日本語学習者は多かったが今は韓国語が抜き、中国語も増えている。ここにいるとますます韓国はアジアのリーダーとなるポテンシャルをもっていると感じる。

2/25執筆

なぜ移動するのか

生産と消費に分けられる経済活動の多くは自宅で完結できてしまう時代になった。それでも私たちは移動する。なぜか。移動は運動の延長で、運動は生命が生命たる証左なら、移動は生命活動の純粋な延長と言えるのかもしれない。生きているものは細胞が運動を続け、熱をもつ。

村上龍の小説にたしかこんな一説があった。『歌うクジラ』の末尾である。

宇宙ステーションから脱出したアキラは冷たい宇宙の闇の中で旅の途中に出会ったアンやサブロウさんやサツキという女のことを思う。そして輝く一点の光に向かって祈り、近づきつつある死を予感しながら大切なことを理解する。人生にとって唯一意味があるのは他者との出会いである。そして移動しなければ出会いはない。

移動型シェアハウスに住んで一ヶ月が経つ

今は都心近くのシェアハウスに住んでいる。
理由は友人から借りていた家がもうじき売られるのでそろそろ出る必要があること、オフィスへのアクセスが近い場所に移動したかったこと、現在の仕事が終わる2月半ばから東南アジアに数ヶ月間行く予定なのでワンルームを確保するには半端であること、そしてこれからより一般化するのは確実であろうシェアリビングという形態を身をもって体験したかったことだ。現状では従来のタイプの不動産を複数人で暮らせるように家具等の設備を配置して貸し出すのがシェアハウス業の常道だが、これから先、家族でない人々のシェアリビングを前提とした意匠設計が広く普及するだろう。

もう10年近く一人暮らしをしていたので、ああそういえば実家に住んでいたときも形は違えどこうして共同生活をしていたんだなとそれが特別なことでないことを思い出した。実際住み始めても大きな違和感はなく、数日で慣れた。

私が利用しているのは都心で最大手のシェアハウス事業者が運営する物件のひとつで、山手線沿線を中心に全部で十以上の物件があるらしい。聞いた話では来年更に倍増するとのことだから成長産業であることが伺える。一年以上の利用ブランクがなければ、いつでも無料で物件や部屋を移動できるのが特徴で、仕事をする場所が仕事によって変動するようなワーカーには適している。業者所有の物件のうち3件を内覧し、その中で最も綺麗な物件を選んだ。オープンしたばかりで、私は入居者の募集が開始されて以来6人目の入居者となった。とにかく仕事に支障が出るような面倒なことは避けたかったので、ゼロから人間関係やルールを構築できる方が何かとコントロールしやすいという算段もあった。個室を含めてフルで入居して13人が収容できる。

快適なシェアハウス生活を送るために、今回の経験から感じたシェアハウス選びのポイントをひとつ挙げてみよう。それは生活のルールが運営会社によってどれだけ適切な細やかさで決められ、それが実際に遵守されているかである。運営会社によってというところが肝だ。なぜなら共同生活では自分の常識と他人の常識が異なる場面に出くわす度に妥協点を探らなければならず、その時運営会社によって予め明文化されたルールがあれば住人間での摩擦は起こりにくいし、たとえ納得のいかないルールであっても何かしらの感情の矛先は管理者に向くので、住人同士でのわだかまりもそれだけ減る。見える者への不満より遥かにストレスレスだ。多くの人にとって第一に守るべきは清潔さや安眠などの平穏が確保されることだろうから、特にそういった類のルールが適切に整備されているかを事前に確認しておくのがいい。この点について、幸い私が利用しているシェアハウスは課題はあるものの合格点と言って良さそうだ。

情報漏洩を防止するシステムが生まれたとき本格的な移動の時代が始まる

開発手法の効率化によるプロジェクトの製造サイクルの短期化と、有力なクリエイターの移動の活発化が相互依存的に高度化すると、地理的に分散してネットワークで版合わせをし製品を開発する傾向は今後ますます強くなり、情報漏洩防止への簡易的な解決への要求が高まる。
現在ではコンプライアンスの固い組織程、組織に情報と情報を扱う者を閉じ込めることで達成されているが、その方法に頼る企業は有力なクリエイターを確保できず優位性を失う。資本を投入し製造し市場に投じるまでの数週間から数ヶ月間の間だけクリエイターに与えた情報をコントロールすることが可能となるソフトウェアサービスが近い将来爆発的に普及するだろう。

そしてこれをきっかけとして分散型の製品開発は急速に発達し、移動インフラの充実化は加速され、移動型社会の夜明けが訪れる。

良い旅とは現代アートを観るような旅

日本人はアートの見方を知らないと言われる。

それは小さい頃から美術館を訪れる機会を作るような教育の習慣がないことが一因であるし、何より見方を教えられる大人がほとんどいない。

人並み以上の教養がある大人で例えばモネが好きとか印象派が好きとかいう人はそれなりにいてもなぜ好きなのかという問いに客観的な説得力をもって子供に伝えられる人はそう多くないだろう。

一言で言えばアートを鑑賞する力はリファレンスの量と質で決まる。

リファレンスとは歴史であり、その作品あるいは作家がその時代のそのシーンの中でなぜ意味を持つことが出来たのかということだと思う。

マティスがマティスたり得たのは、ひとつには形態が持つ量感の、単純な線で構成したスケッチによる徹底した追求から抽象絵画の道を切り開き、またそれゆえにピカソらのキューブによる幾何学的で単純な抽象化とは線の世界において一見似ていても全くの異質さを放っている点にある。

現代アートになる程この傾向は強い。なぜなら歴史の中でその作品が存在するまでに存在していたn個からそれが存在することによってnがn+1になったときその作品は歴史の内部での存在意義を持ち、nは歴史とともに増えるからだ。

映画や音楽やその他のあらゆる芸術においても、もっといえばアートと呼ばれることの無いあらゆるものについても同じだろう。

Aを知っていることが教養ではない。BやCやDによってAを知っていることが教養である。

 

 

現代アートの置かれた美術館を訪れたとき、作品を他の作品群や時代背景などの何重ものレイヤーが可能な限りのバリエーションで重ねられたレンズを通して観るように、ある土地を訪れた時、目の前に見える風景を超えた多くのレイヤー、つまりその土地の歴史や産業的位置づけなどといったレイヤーを通して見ることで楽しさは何倍にも増す。

 

また多くの場合完成とともに固定化する芸術作品と違って、幸い土地は移り変わりまた私たちも自分の歴史を持っている。

それゆえある土地に行くのに本当に楽しいのは時間が経った後二度目に訪れる時だ。

だから出来るだけ若いうちに世界を廻り多くの場所を訪れておくのがいい。

今、遠い結びつきこそが重要だ

東日本大震災が起こったとき東京にいた。

当初原発の影響が懸念されていたため、知人のつてで九州に避難場所を確保してくれるという話が出たが、祖母が福島県に住んでいることから可能な限りあらゆる情報ソースを漁り、原子力発電所の構造的欠陥がどこにありそれによる放射能や放射性物質による健康被害のリスクがどれほどのものであるのか科学的に考察した結果、移動の必要は無いと判断したので結局断った。

 

私たちはどこにいてもその土地に潜むリスクを抱えている。

世界規模でマネークラッシュが次々に起きている今では自然災害よりも金融危機のようなシステマティックな災害の方が衝突の可能性は高いかもしれない。

ちなみに世界的な金融危機の今後の動向に対する考察はそのうち書こうと思う。

そうした突如起こるかもしれない種々のリスクを回避するには何より即座に移動を可能にする機動力、つまり土地依存度を下げることが必須なのは言うまでもないが、移動後の生活環境を考えたときに移動先に知人がいるのといないのでは状況は全く異なる。

 

幸い私はあるまとまった期間をヨーロッパ各地で過ごしていたので、そこで得た友人に頼み込めば住む場所と簡単な仕事の紹介くらいは確保できるだろう。

もちろん逆の立場となった場合には手厚くサポートしたいと考えている。

 

そうした災害リスクのようなネガティブな面だけでなく、世界にはその時代に応じてホットな都市、いわゆる中心都市と呼ばれるものがあり、例えば今ならアメリカ西海岸のように最先端の産業が栄える都市が形成するネットワークに参加するためにも移動可能な範囲を増やしておくことは重要だ。

 

人脈、仕事、言語を含む適応のための文化的な基礎の3つを有することができた土地を「拠点」と呼んでいる。

 

個人的に今最もリスクの少ない土地は南半球の特に東南アジア諸国とオセアニアだと考えている。

来年の初頭に東南アジアに拠点をつくり、同時に中心都市であるアメリカ西海岸に移動するための言語的支柱をつくるのが今後のプランである。

 

中心都市は金融業が興った19世紀以降、ジェノバ→アムステルダム→ロンドン→ボストン→ニューヨーク→サンフランシスコと移行してきた。

これは移民の流れに準じており、大局的にはヨーロッパから北アメリカ大陸への移行とみることができる。

 

とはいえ生きてきた四半世紀をアメリカ全盛時代に過ごしてきた者としてはこの変化を実感を伴ってイメージすることは難しいのだが、今後四半世紀のうちにアメリカ帝国終焉とアジアへの中心都市の移動を目の当たりにするのだろう。

 

そのとき中心都市となる場所はどこだろう。

自己実現の近道は環境を変えること

 

一番強いものが生き残るわけではない。一番賢いものが生き残るわけでもない。変化に適応できるものが生き残るのだ。 – Charles Darwin

 

全ての生物はその進化の成り立ちから考えて環境依存度が高く、人間もその限りでない。環境に適応することが生き残るための絶対条件だからである。

逆に言えば環境ごとに生き残る生物の特徴は異なってくる。

つまり環境がそこにいる者の特徴を形づくる。

だから適応すべき環境は絶対的に重要である。

 

もし自分のありたい姿を実現したければ、どんなに優れた自己啓発書を読み自己を変化させようと試みるよりも、その理想とする自分の姿こそ環境の適者となる、そういった環境に移行することの方が合理的だ。

 

ただしどんな環境にも適応すべき部分を持っている可能性があることを忘れてはならない。

同時に環境は変化するものだから、適応すべきでないと感じたときに変えられる機動力は常に確保しておかなければならない。