
Leonardo da Vinci’s Mona Lisa, ca. 1503, at the Louvre, Paris
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ルーブルで実物を目にすると小さな、あのモナリザは、何ヶ月かけて作られたのかを最近知った。
5ヶ月?いや、50ヶ月、つまり4年である。
それだけの間、あの小さいキャンバスに無数の書き込みが繰り返された。
モナリザが真の傑作かどうか、もしそうならなぜそう言えるかは別の議論として、
この事実は、何を描いたかなんてさして重要な問題でない、という主張の正当性を強化する。
ダヴィンチが同じ時間をかけて犬を描いたとしても、それはモナリザに相応する傑作になったのではないだろうか。
効率主義者たちは、最初の進む角度が少し間違うと後で大きな違いになる、だから最初に正しいアイデアであることが重要だ、と言う。
こうした考えが当て嵌まるのはより短期的な、些細な物事であって、歴史の中ではノイズにすぎないような些細な変化を超えると、最初に打ち込む角度と結果との関係はほとんど無関係になる。
短いベクトルなら少しの方向の違いがゴールへの到達距離を激しく変える。
それは三回打ってホールに近づくゴルフのようなものだ。
三千回打つ必要があることなら、少しの方向の違いなんて殆ど重要ではない。
重要なのはキャンパスに描き込み続ける精神力を保つ何かで、何を書くか、最初のアイデアは描き込んでいる間に何らかの意味のあることに軌道修正されて、
どこか誰も到達しなかった場所に辿り着いている。
鍵は時間である。アイデアはその意味で取るに足らない。三千回クラブを振っていたら、初期のアイデアなんてどこかに吹き飛んでいる。どこかの山に登り始めている。
これはテクノロジースタートアップの世界でも一般に言われ、また当て嵌まる。
そして、物理学と計算科学の違いは、後者には離散的な時間ステップという概念が顕著にある。
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