僕はここ十年くらい、新たに国を開拓するときには「{国名}を知る○章」(明石書店)を必ず往路の便で読了して行く。そこでは社会システムと歴史文化の五十分野程を各専門家が分業して書いている。
蛍光顕微鏡を覗く前にタンパク質の局在パターンを把握しておけば視界に入る情報はランダムな分布でなくなる。帰路は思索など執筆する。
この記録も帰りの便で執筆。
ここで考察するのは、既にイギリスは没落期にあるのではという話題。
僕にとってのUKとはドイッチュであり、ペンローズであり、ホーキングなのだけど、冷静に考えれば彼らはもう半世紀も前の世代である(ありがちな錯覚だ)。
20世紀初頭に砂糖の公益で大儲けしたTate家がその巨大な利益で買い漁った美術品と、それらを所蔵する無償の美術館Tate Britainの最前線には、新たな工業材料とミニマリズムによるConstructionが掲げられている。
これは1960年代!のシーンで、いくらダミアンハーストがホルマリン漬けにした鮫でニューヨークを沈めても、地元できらきらした花畑の絵 https://heni.com/editions/the-secrets を飾っていたのではマーケットの水準が疑われても仕方がない。
これが世界都市ロンドン?
20世紀カレッジ水準しかなかったアメリカがヨーロッパへのコンプレックスからPhD主義への価値転換を行いゲームのルールをひっくり返したのと同型に、ヨーロッパの天才を生み出す努力をゲームのルールそれ自体を概念生成競争に置き換えることでひっくり返してしまったアメリカの遊戯に抵抗しているかのごとく。
国力は人間の数で大体決まるGDPや、多くが産業構造やガバナンスで決まるGDP per capitaなんかより、街中の普通の人々との会話に発露する思考の水準で僕は測る。
“美しいものを(主観で)集めています”
“うん”。
振り返ると1990年代後半、クールジャパンの原型と言われるクールブリタニアはOasisやポールスミス、ダミアンハーストなどソフトコンテンツの世界的流布と英国ブランド向上に寄与しその後2012年のロンドンオリンピックでの集中的なインフラ投資を経て好況を引き寄せた。
EUが拡大し中東欧からの移民が増大したのがこの2000年頃。現在実感値で白人以外が半数近くを占め、白人は白人同士、アラブ系はアラブ系同士、階層構造は文字通り目に見えて分断されているから、必然的に階層は固定化。
いや、多分今に限ったことではない。
一般に階層の固定化は成熟国家の停滞要因とされる。そしてポピュリズムの蔓延、Brexit。英語国ながら局地的には閉ざされた経済。
ビジネスとアートの主戦場は、もう圧倒的にアメリカとなった、のだろう。
とはいえオックスフォード大学計算機科学デパートメントは、計算複雑性=計算機「科学」の砦であり続けている。
事実ファカルティの殆どがその道の人々である。日本の「一流」大学が「情報」と言ってごまかしていたり、理学に属しながら実態は計算機「工学」であるのとは対照的である。
オックスフォードシャーは遠い昔留学先のローヌアルプを思い出させる美しい街であり、特にマグダレン橋から南東に伸びる街並みは例え早朝から空が雲で覆われていても、昼になっても太陽が出なくとも、健康的だ。
白人社会とは言え比較的実力次第で出自にチャンスの寛容な米国と対照的に、かつてマイ・フェア・レディという作品で低い身分の女が上流階級に通用するようアクセント矯正に励むという話にあったが、
白人間でさえ明確な階層を持ち、かつ即座に判別できる物理的特徴として印加され、暗黙の、そして強固な、厳格なクラスターを前提に置くこの国では、非白人にとっては平民が貴族と互角に渡り合うに相応の努力とマネジメントが求められる。
小1の甥に忘れずにロンドン限定レゴを買う。
タイトルはダミアンハーストのホルマリン漬けにされた牛の作品から。
母=イギリス、子=アメリカ。