垂れ流し続けている感覚

事業主とサラリーマンの決定的な違いはコスト感覚だろう。
フリーランスや経営者などの事業主は利益を計上するまで収入がないので労働密度を上げたり一切の無駄な時間を減らすことにインセンティブが働くのに対し、解雇されない限り毎月一定以上の収入が入ってくるサラリーマンには時間あたりの労働量を下げた方が費用対効果が高いので、同じ給与額であればなるべく働かない方が得というインセンティブが生まれる。
少なくとも我々のようにただ生きて時間を消費しているだけで金銭的コストという血を垂れ流し続けているといった感覚を皮膚感覚的に感じている人は給与所得者ではかなり希少ではないだろうか。生きている以上生活コストは刻一刻と発生し続け、その負の生産量と労働による正の生産量を逐一微分的に秤にかける思考回路が出来上がる。そしてあらゆるものごとをコストとリターンの枠組みで捉えるようになる。その時、言わば生産財は時間のみといった我々のような職業では特にコストの把握と時間感覚の相関が密になってくる。
血量が尽きることは何らかの助けがない限り文字通り死を意味するので、サバイバルである。私が利用しているオフィス施設の中で日毎に行われる様々な企業イベントでいつも受付に過剰な数のスタッフがたむろっているのを見るにつけ、正直手から銀砂が滑り落ちていくのを見るかのような惜しさやもどかしさを感じてしまうのだがこういう感覚を伝えるのはたぶん難しい。

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