私がなぜ「若者は海外に出ろ」「若者はノマドになれ」と煽っている識者やジャーナリストに怒っているか?それは「夢を売る詐欺」だからです。人生を狂わせる人が大勢いるかもしれないからです。嘘をつかないこと、人を不幸にしないこと、は、最低限守らなければいけないことで、当たり前のことです。
ノマドという言葉は映画史におけるヌーヴェルヴァーグのようなもので、ワークスタイルのある種の傾向を分析しラベリングするためにとってつけた言葉であると同時に、批評の力学をゴダールやトリュフォーやリヴェットのような若い作家に享受するためのひとつのスターシステムのようなものだと思っている。May_Roma女史が「煽っている」という識者やジャーナリストはそのシステムにおける批評家としての役割を演じており、事実彼ら批評家が発信したそのコンテクストの中で安藤美冬やphaといったスタープレイヤーが輩出された。
キャビンアテンダントのドラマが流行った時代はその志望者が増えたというデータがあるが、当然キャビンアテンダントには誰もがなれる訳ではないので、何年もかけて目指した挙げ句素質がなかったために諦めて他の職業に就き、端から見て人生を狂わされたという人もいるかもしれない。そのドラマに対し、キャビンアテンダントという職業を世の中により魅力的に広く伝えた仕事、とするか、「夢を売る詐欺」とするかは個人の主観に依るところなのでどちらが正しいとも言えない。
@hayamayuuそうです。大成功するのはごく少数で、凡人が大成功した人の真似をしても無理なんです。自分の身の丈や能力にあったことを、無理しない程度にやらないと、絶対に失敗します。
ただ、彼女の言う「失敗」と「大成功」が具体的に何を指しているのか分からないが、客観的にみて「失敗」したように見える当人の多くはそれを失敗だとは思っていないのではないだろうか。たしかに破産したり生きていく術を失ってしまった場合は失敗ということになるのかもしれないが、重要なのは失敗しないことではなくて、失敗するリスクを勘案してそうしているか、である。
社会に必要なもののうち情報化できるものの割合が多くなったので、仕事が個人に切り分けられていく傾向は不可避である。議論すべきなのはこの傾向を止めるか促すかではなく、それが自然な歴史の流れであるという前提の基、どのようにリトライ可能な社会を実現または維持していくか、ということだ。大局的な「成功」の定義はこの世代の人たちのそれから変わりつつあるので、たとえ識者やジャーナリストが勝手な成功イメージを添えて紹介していても新しい世代には知ったことではない。彼らは彼らのイメージを勝手に具体化しようとするだろう。
ノマド的な働き方に必要なのは、才能ではなく技能である。だから凡人であろうと天才であろうと問題ではない。むしろ、”誰でも生身の状態では凡人である”という事実を認識した上で、訓練を積み重ねていく以外にはない。
松井博/Hiroshi Matsui
@Matsuhiroノマドというと「セルフランディング」っていうけど、何より大事なのは高いスキル。それがないとセルフブランディングなんていくらしても無駄。