(2022年2月18日ラハイナにて)
ラハイナは天国への寄港地のような場所で、米国ハワイ州のメインランドから飛行機で東に40分飛んだ離島マウイの南岸にある。
島で最古のコアの木が円形に広がるバンヤンコートの周辺、フロント通りには、朝も夜もバンド演奏が穏やかに鳴り、みな日々追いかけてくるものを忘れ、空と山々と海の運ぶ空気に包まれている。
3千キロ四方に大きな陸地の存在しない、この世界で最も孤立した場所は科学研究の言わずと知れたメッカで、火山島として誕生した7500万年前から5万年ごとに1種が飛来、生態系に適合し、ポリネシア人が到達した1500万年前から数千種が新たに持ち込まれ、6千種の独自の種と、わずか一島に冷帯気候以外のすべての気候環境を有した、稀有な環境を形成する。下降気流と適度な偏西風は青い空と乾いた風と色鮮やかなブーゲンビリアをありふれたものにし、かくしてこの地は楽園となった。
人々は人生の仕事をやり終えたとき、物心がついた頃から背負ってきた期待や知識、欲望を捨て、シンプルな生活に回帰する。多くの生物種に生の段階があるように、人間にもそれがある。ただ、人間の場合は、それを選択することができる。
ここから車で1時間ほど東に海岸線を走ると人静かなマーラエアの港がある。
老婦人にベーグルをオイル少なめで焼いたサニーエッグ付きで作ってもらい、シングルビーンのコーヒーを一杯飲んで段取りを整理してから97番目のスリップに停まる船に乗る。クルーの話では,電話ごしに滑らかに笑うオーナーの妻は日本人らしい。どこか特別な親しみを感じ取れるのは、70年代の外貨交換規制緩和とバブル経済で全旅行者の48%をも占めた顧客としての記憶というよりは、戦前のマルチエスニック社会で4割を占めた日系人の血を引く人々が、今も10%以上も存在する因果に依るのかもしれない。合衆国併合前のたかだか200年前は超大国スペインが覇権を争った。歴史は瞬きするような時間で様相を様変わりさせる。
シリコンバレーに居た2011年頃、円相場は1ドル75円の最高値を記録した。それから約10年が経ち、円は1.5倍のオーダーで安くなった。国内で物価変動を実感することは稀だが、海外では何もかもが割高になった。なぜこのようなことになったのだろうか。
2001年の小泉政権下での量的緩和開始以降、それまで同等に推移していたドル円の購買力平価と実勢相場の差が拡大を続けた。輸出物価の購買力平価 (インフレ率や貿量額で重みづけし、一物一価の法則が成り立つ時の為替相場を算出した指標)は通貨の実質的な購買力を表す。2022年現在、1ドル=113~116円の為替レートに対し、1ドル=60~70円*だから円は実力の6割しか出せていないことになる。日銀はインフレ目標を達成するために量的緩和を繰り返してきたが、マネタリーベースと物価が無関係であることは結論が出ている。実際、日銀も2003年にゼロ金利下での量的緩和、マネタリーベース・チャネルとその経済効果を検証した論文**を公開しており、そこでは明確に、マネタリーベースを増やしても効果は極めて限定的かつ不確実である、と結論付けている。
* 国際通貨研究所のデータ による
**「The effect of the increase in the monetary base on Japan’s economy at zero interest rates: an empirical analysis」
にも関わらず、2006年の解除後、再び2013年の第二次安倍内閣発足とともに量的緩和は再開、金融政策は自民党政権に屯する御用経済学者らのプレイグラウンドとなった。彼らは悪くない。多分国家のことを考えて真剣に取り組んでいる。ただ、少し思考の問題で、複雑なシステムを捉えられず、単純化したモデルが現実に当て嵌まると、思い込んでしまっているのだ。
悪貨は良貨を駆逐し、そして通貨は供給される。
過剰なマネーサプライは通貨安だけでなく金利の低下を生み、円で借りリスク資産に投機する流れを生む。実際に2009年のゼロ金利下でサブプライムローンなどドル建ての債権が、元は低金利で借りた円で買われた状況がこれに当たる。結果、バブルは崩壊し、幸いにもリーマンショック後に無事円は買い戻されたが、この清算に海外投資家が失敗した場合、円を用立てした日本の金融機関は最終的なババを引き破綻する潜在的なリスクを負っている。日本の無担保コールレート(金利)は今もほぼゼロに近く、先進国の中でもスイスに並び異常に低い。リスク資産が買われると当然資産価格は上昇する。市場にはマネーが溢れているしリスクプレミアムも下がっているから価格はさらに上昇し、バブルが形成される。そしていつか必ず破れる。こうした余剰マネーを集める投機的資産の本来価値はずっと低く、需要を維持しつづけることはないからだ。
だから、マネーサプライを過剰に続ける限り、バブルは今も膨らんでいる。2010年代に膨らんだ分は、パンデミックで解消するタイミングが流れ、ゲージは2周目に入ってしまった。次に崩壊する時はその分、影響力もいっそう大きいだろう。
それでも円安で景気が良くなる、といった議論が未だ消えないのは、循環する経済の流れの局所を見てそれが全体最適だという錯覚に陥っていることに依る。百万円で物を売る時、1ドル=百円なら1ドルが手に入るが、1ドル=五十円なら2ドルが手に入り、輸出を善とする価値観では正義でも、こうした重商主義は18世紀に片が付いている。
円が弱く、購買力が低いことのミクロな弊害は、潜在的なリーダーが国内に引き留められ、その影響は質的に無視できない。日本はゆとり教育改革でエリートと非エリートの詰め込み負担を減らしたが、平等主義に忖度し、能力階層差に分離することを拒んだことで無に帰し、エリート層の脱近代化に失敗した。賢明な親は子を国外に遣ろうとする。弱い円はそれを困難にする。都市非都市間の情報格差は埋まったが、今や将来世代の経済格差は私塾より英語圏での国外教育の可否という形で現れる。安い円は個人や企業を国内に引き留める。
私たちの奇妙な形をした島国は、ある種の楽園でありながら、平等主義と日和見主義の蔓延する桃源郷となった。私は母国を愛しているが、英語圏で日本人と会話することは、次第に耐え難さを増している。この傾向は他言語能力に比例し強まるはずだから、円の供給と違って以後緩和することはない。トッドが「世界の多様性」で論証したように日本とドイツは5つの家族構造の中で直系に属する。世界経済の中でGDPの推移も産業構造も類似したこれらの国に感じる共通した感覚は閉塞感と無関係でなく、デバッグ可能な社会制度というより、出荷時に書き込まれる不揮発性のプログラムのような、幼少期を過ぎるまでに確立する人間の性分に起因する可能性が高い。だとすれば想像以上に問題は根深く、正常な感覚を保ち続けるためには、移動し続けることが何より重要だ。
クイーン・カーフマニュセンターでバスを待っている間に話しかけてきたブロンドの人懐こいアメリカ人女性カトリーナは、シアトルからの直行便でバケーションで来ていて意気投合した。日本が好きかと聞くので、「日本は愛しているが安全過ぎて退屈な社会だ」と言うと、何それおかしい、と言うように笑った。
2019年の初頭、INF条約に違反しロシアが中距離核戦力ミサイル発射システムの開発を開始した際、超大国の終焉が近いこと、ロシアと中国、北朝鮮らのリスクの高まりを論じた。
(20年後の世界と取り残される人々 激動の時代の始まり、塗り替えられる勢力図 )
その後、同様に危機意識を持つ人物はこの国には見つけることはなかった。
そして先週、西側が派兵をしないと宣言するや勝機と見たロシアはウクライナへの侵攻を開始した。米国の経済力と軍事力を背景にした安全保障による世界平和のレジームは終焉し、新しい時代に突入したことに、世界は気づき始めた。ウクライナは核戦力を放棄して手に入れたはずの安全保障が無効だったと知り、EU加盟に救いを求めた。この傾向は巨大テック企業からの徴税が益々困難なことに由来する、民主主義国家の脆弱性による超大国の終焉によって、さらに加速する。
非民主主義国家中国には軍事力経済力ともに覇権国家に接近しながら、これまでの米国の役割を代替する意志はない。北京のリーダーは2023年に迫る全人代があるため慎重な姿勢を取るだろう。それでももし彼らが動いた時、世界は混沌の渦に包まれることを覚悟しなければならない。
そして日本は地政学的に重要な場所に位置し、また核戦力を放棄して安全保障の傘下に入った点でウクライナと相似である。北方領土に侵攻されたとしても主権領域外としてNATOによる防衛機能は動かないだろう。
百年にも満たなかった、平和の時代の終焉、超大国に身を委ねれば平和でいられた時代は、歴史の行間に存在する儚いひとときであった。
私たちは閉ざされた世界から脱し、自分自身の足と目と思考で、真実を知る感覚を研ぎ澄ませている必要がある。
*ウクライナ問題については3/1に追記
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カイロは西のピラミッドを望むギザ地区から、2011年にナダルの事実上独裁政権を降ろしたエジプト革命の中心地スクエアを通り、西の新都市ニューカイロまで100kmほど車で横断すると、5000年の人類の歴史をパノラマで見ているようで感慨深い。
東に進むほど道路脇の看板は英語で書かれ、まるで南国リゾート地のようなパースが並び、背後の砂漠がリゾート地に変わることを夢見させる。
2013年のクーデター以降、シシ政権下で生まれた都市だ。ここにユダヤが流入し、10年後にはドバイに並ぶ中東の中心都市となるだろう。
彼らの顧客は世界に開かれている。
この観光客のほとんど訪れることのないEl Shoroukエリアに住むのは多くが多国籍企業に勤める人々だ。
彼らは思考様式も顔つきも所作も、西側の人々とはまるで異なる。
こうした人々と話をしていると、その土地に依拠した仕事をする人々、世界企業コミュニティ、グローバルクリエイティブな個人(超ノマド)、の3つの階層に人々は分断されつつあるのが明白になる。国際社会では英語で母国語同等の速度で自分のアイデアを話せなければ重要な人物とはみなされない。
世界が急速に変化している中で、今や先進国の中で取り残されつつあるのがヨーロッパと日本だ。
今、ほとんど戦争と言えるほどの激動さをもって世界の情勢が様変わりを始めている。
名目GDPはIMF World Economic Outlook Database(2017)によれば、
であり、中国が米国に追従しているかのように見える。
しかし、物価の差を考慮した購買力平価(PPP)ベースでは2014年には中国は米国を抜きトップになっている。最新のランクは、
成長率では米国2%に対し中国7%であるから、名目GDPでも数年以内に米国を抜く可能性が高い。
GDPは単に経済的な競争力を示すものではない。GDPが重要なのは、その余剰が軍備に回され軍事力に転換される点にある。
中国はすでに戦闘艦艇の数で米国の約2倍を保有している。対艦攻撃力ではアメリカ軍を超えたと言われ、PPPベースのGDPで米国を抜いた2014年には南シナ海に7つの人工島の建設を開始、2018年までの4年間で米軍の接近を阻止する地対艦ミサイルを配備、南シナの制圧をほぼ完了させている。
2018年、韓国文政権は米国の意向を無視し北朝鮮と連帯を強める政策に出た。朝鮮半島は特にロシアの南下を脅威としていた帝国主義の時代までは米国にとって地政学的に重要だったが今はそうではない。ロシアの影響力が低下した今ではその地理的優位性は下がり、米韓同盟がアメリカの国益において重要でなくなった。
トランプ政権はこのため朝鮮半島からの撤退を示唆しており、在韓米軍は2019年に撤退する可能性がある。
同時に経済力軍事力ともに米国と互角となった中国、および中国が援助する核兵器というカードを持った北朝鮮の2国間との連帯を強める方が韓国文政権にとって得策と見ているのだろう。韓国はより中国に歩み寄る。
3国内で中国が交渉力をもっているから、中国の地理的弱点である半島の南西側の平地に壁を作る目的で38度線を維持する力学が働き南北朝鮮統一は行われない。
中国は北朝鮮と韓国への支援を続け、この3国は独立を維持したまま連帯する。
在韓米軍撤退のシナリオでは中国への牽制力が弱まり中国側に好機をもたらす。
技術力では中国はソフトウェア、韓国はハードウェアと通信で世界トップであり、核ミサイル技術をもつ北朝鮮を傘下におくことで合法的に核武装も完了している。
データ主導のソフトウェア時代では民主主義国家よりも独裁に近い国家が有利である。
日本がもつ唯一のカードは米国に地理的に極東の軍事拠点を提供することであった。
一方で2018年10月には7年ぶりに日本政府の中国への公式訪問が行われ日中協調路線を復活させたように見えるが、中国政府にとってこれが建前に過ぎないのは国家主導による経団連へのサイバー攻撃からも明らかだ。
日米保安条約の限りでは日本の領土への米軍基地提供に選択権はないが、台湾と同様軍事的に対中姿勢を取るか、米中のパワーバランスに従って軸足を調整する戦略をとる以外にない。
いずれにしてもこれまで同様プラグマティズムに終始する。
朝鮮半島からの米軍の撤退如何が鍵になるだろう。
世界は急速に変化している。
個人ができることは、いつ没落するとも知れない国家やローカル文化に依存しない普遍的な力を手に入れ、世界とつながることだ。
より具体的には、言語、テクノロジー、グローバル感覚、の3つの力が必要だ。
日本語圏でのコミュニケーションの殆どがローカルでしか通用しないコンテキストで構成されてしまっているから、まずはここから脱却するところからはじまる。
そして数万大規模のコンピュータクラスタによって世界の情報を処理できるシステムを自国の内部に持たない国家は情報テクノロジーで優位に立つことはなく、新たな帝国主義の時代が来るにつれ属国となるより道はない。
劇的な変化は10年以内に少なくない確率で訪れる。20年後にはまるで違う風景が待っているだろう。
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チップ制度というのは日本人にとってはあまりなじみがないので、はじめ色々と疑問が起こる。何も疑問を持たずにただそういうものだと受け入れられる人もいる。でも世の合理不合理を追求するのが仕事のような日常では、つじつまのあわない慣習を何食わぬ顔で飲み込み咀嚼するということは殆ど不可能だ。はじめからチップを支払うのが前提ならなぜ正規料金をチップ込みの値段にし従業員の基本給を上げない?タランティーノの『Reservoir Dogs』でチップシステムの奇妙さを饒舌な台詞で聞かされている場合はなおさらだ。
たとえば昔、特定のレストランに足しげく通いながらもチップを払わない、という行動をしていたことがあった。今となっては奇行と言っても良いほど不可思議な行動だ。チップを払わないことはそのサービスを否定していることと同じであるから、否定しながらも頻繁に訪れるとしたら嫌がらせに他ならない。必ずチップを払うようになると、従業員の態度が目に見えて好意的になった。このことはたかだか数ドルのチップが彼らにとっていかに無視できない何ものかであることを示している。
以後、種々の文化的背景を持つ友人とこの話について議論し、同時にチップを支払うことを習慣化していくうちにチップ制度の精神性を徐々に会得するにいたった。こうしてチップの起源を察するに2つの仮説-性善説と性悪説-が導かれる。
第一に、日本の接客業において常識となっている態度、全ての顧客に対してその顧客が何者であってもできるかぎりの接客を行う、というごく自然な前提は西洋にはないらしい。少なくともアメリカにおいて人々の道徳教育は行き届いていないので、従業員が経営者の目を盗み瑣末な接客を行うことは常に起こりうる。したがって、チップは人々のサービスレベルを一定に保つ為の経営戦略が自然と慣習化したという、ダニエル・ピンクによって否定された一種の成果報酬制度である、というひとつの仮定だ。
第二に、使用人という文化になじみの無い国民にはプライベートなサービスという感覚は掴みづらい。日本において公の場での接客業といえば特殊な業務を除いて不特定多数への接客という意味合いであることが殆どで、たとえ一度に接客するのは一組の客であってもその客はあくまでワンオブゼムであるという考え方だ。対して使用人の文化が一般的だった文化圏では、たとえ一度に数組の客を抱えていても関係性は1対多ではなく、1対1となる。チップを介する接客においてサービスとは主人に対して行うもので、客はその場において主人になり、主人であればサービスに対し当然報酬を支払う、という考え方だ。この関係性ではチップは報酬であり礼であるから、チップを支払わないのは礼を行わないのと同じことなのだ。
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自分にとって無害な他人の趣味や行動を否定するのはナンセンスだが、何かを終えた影響力のある人達はしばしば世界一周に向かうらしく、こうした傾向がこの国である種のブランド性を帯びつつあるなら奇妙である。
若者は世界に出ろという助言がメディアを通して毎日のように吐きだされている。真面目な若者はそれを聞いて真に受け、危機感を覚えるかもしれない。危機感というテーマはこの国とって重要な問題なのでそれは悪くない。ただ、世界に出る理由がないのに出ようとする意味は全くない。
例えば7日間の海外旅行ツアーでどこかの国に行くことには、景色と食べ物が変わる以上の意味はない。念のため景色と食べ物が変わることに意味がないと言っているのではなく、それ以上でも以下でもないという意味だ。そして一般的に行われる世界一周とは、このツアーのようなものが1年程度の間連続したものと殆ど相違ないと私は思っている。
まず第一に、各々が短い。どれだけ密度を濃くしても人間の物理的な新陳代謝の速度には逆らえないので、細胞がその土地に溶け込むのに絶対的な時間の経過を待たなければならない。経験上、外部環境が血肉化するのには通常、最低でも数ヶ月の時間を要するので、数日や数週間の滞在でその土地外部からの視点が一定以上抜けることはない。外部としてその土地と接している限りは新たな客観性を得ることがないから、己を見る目も自国を見る目も大きく変わらないし養われない。そしてこれらを獲得することこそ必要に迫られない状況で世界に出る場合の殆ど唯一の意味であると思っている。
仮に丁度一年の期間をかけて世界の20都市を回ろうとしたとき、48週間÷20=2.4週間しかひとつの都市にいることができない。そして2.4週間は内部者として適応するには短過ぎるし、具体的な理由がなく居るには長すぎる。例えばキューバのクラーベのリズムを体得するとか、ニュージーランドの大規模ファームの収穫期に関与するとか、そういう理由である。そういう類の目的を体験レベルでなく遂行するには通常まとまった期間が要る。
ピースボートという企画がある。これは世界一周が目的というより、移動する客船という特殊な環境下の長期的に固定された人間関係の一部になるというのが主旨であって、客船が世界一周をするという装置はそれがなくては成立しないものだからこれは特殊な例と言えるのかもしれない。
要するに世界一周をするなら、それよりも最低数ヶ月間ある土地でまるでそこの住民になったかのように生活してみる方がいい。幸い日本は国際信用度の高い国なので数カ月程度なら大抵の国で難なく滞在許可が下りる。最も基本的なことはある国に行くという単に手段に過ぎないものを目的と混同しないことであり、明確な目的なしに海外に出ても退屈なだけだ。具体的な目的があり、それが達成に近づく頃には自ずとその土地の内部へと接近しはじめる。私は幸運にも世界各国の主要な都市に友人がいる。彼らの殆どはその時その時で人生の目的の一部分を共有してきた仲間だからその存在を忘れることはないし、目的が明確なのでどこにいても助け合うコンセンサスが自然と生まれている。今この時代で必要なのはそういう仲間だといつも思っている。
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東京に帰ってから二ヶ月が経った。
複数の事情が重なって春になるまでは日本にいなければならない。
私の友人であり同時にアメリカにおけるメンターでもあるチャドはPayPalのファウンダーの一人であるPeter Thielをクライアントに持つ投資会社のアナリストで、前歴はフォトグラファーとしてインターネット業界に関わった後ハーバードの大学院でファイナンスを学びVCやPrivate Equity業界に転職した。
彼がWestfieldのカフェで話してくれた感動的なアドバイスを忘れないように書いておこうと思う。
「ビジネスを成功させるには、次の3つの鉄則がある。
“Be first、Be smarter、Cheat”
カズは最初の2つは大丈夫だから、あとは最後だね。この辺は中国人がとてもうまい。僕も前の会社にいたときは会社には内緒でインターネットビジネスをやっていたんだ。
僕の祖母は一昔前にすごく成功した経営者で、Landonっていうファミリーネームは祖母の家系のものなんだけど、彼女が僕によく言っていた言葉がある。どんなものでも売れるんだって。
これは僕がフォトグラファーをやってたときに関わっていたwebサービスで、観光業者向けにハワイとかリゾート地の写真や動画を販売するサイトなんだけど、このハリネズミの動画ひどいだろ?これ僕が撮ったんだけど、本当にひどいよね。でも売れるんだ。
このサイトは最初の年は購入してくれたユーザーは0で、次の年は10人だった。その次の年は50人くらいだった。
もうやめようってことにもなってたんだけど、徐々に写真や動画の素材も増えてきて、5年目あたりで一気にユーザーが数千人に増えて売り上げもそれなりの規模になって、最近他の会社に売却したんだよ。どんなサービスも売れるまでには5年くらいは必ずかかる。
これ見て、HDの最高画質のだと100ドル以上もして誰が買うのかって思うよね。でもほら、これを見ると12人も買ってる。
こんな動画でも誰かにとっては重要で、買う人がいるんだよ。」
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銀行口座(Business Account)の開設が取得したTaxIDを使って意外にすんなりできそうなので、銀行でもらったパンフレットを読み様々な処理にかかる手数料に関して勉強した。
どうすればそれらのFeesを減らせるかという観点からまとめている。
ちなみに開設した支店はMarket Street沿いのChaseだが、ざっと調べた限り手数料ではBank Of Americaもほぼ変わらないという印象である。
またフランスでソシエテジェネラルの口座を使っていた経験から言えば、チェックの仕組みをもつ西欧の銀行の手数料システムはほぼ共通化されていると思われるのでアメリカ以外の国で口座を開設する際にも参考になるかもしれない。
ChaseはJPモルガン・チェイスアンドカンパニーの傘下にある銀行だが、JPモルガン・チェイス・バンクは2011年にバンク・オブ・アメリカを押さえ総資産で米国最大となった。
CitiBankという選択肢もあり、世界の多くの主要都市に支店があること、ドル送金が手軽にできるというメリットがあるが、
送金については銀行間取引よりもPayPalを経由する方が得策なので、米国内でのサービスを追求するならChaseということになるだろう。
以下まとめ。
1. 月々$15のService Fee
・口座内の平均金額を$7,500以上に保つ
・紐づいたクレジットカードで$1,000以上使う
・$50のqualifying checking account feeを払っている
・紐づいた個人口座がqualifiedである
– $7500以上常に入れておくのが確実
2. 超過引き落としが起こった場合のOverdraft Fees
・十分な金額を入れておく以外にない
もしこのFeeが発生すると、件数ごとに$34のInsufficient Funds Fee,$15のExtended Overdraft Feeなどそれなりに徴収されるので気をつけなければいかない
3.ATM,DEBITカード使用時に発生するFees
・基本的にChase以外のATM等を使うときに発生(ATM$2、Debit引き出し3%か$5の多い方)
・海外で引き出すと$5、通貨変換に3%
4.その他のFee
・預金される予定の取り引きが失敗(支払い側が残高不足など)した場合に$12
・チェックでの支払い取り消し処理$30
・200トランザクションを超えると1トランザクションごとに$0.4
・最初の$7500以外の追加デポジットに$1000あたり$1または$1.5
5. 送金
・米国の他の銀行からの転送入金は$15
・米国の他の銀行への転送は$30または$25
・他国の銀行とのやり取りは$45または$40
6. 特殊な処理
・口座への法的な措置への対応や寄付金など
7. ONLINE BANKING
・チェックごとに$14.99など
*Overdraft protection
Overdraft protectionを設定しておくと、チェックの預金額が足りないときに$10のプロテクション手数料が発生し、通常の預金から支払いを行ってくれる。
Chase.comのCustomer Centerから設定できる。
*Free Account Alerts
様々なFee発生が起こりうる場面でアラートしてくれる無料サービス。
Chase.com/freealertsで設定できる。
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先月台北にいたときには約1年ぶりにゴルフをして、改めて奇異なスポーツだなと思ったのと同時に、アングロサクソン的だとも感じた。クラブに球を当てるときの初動が全てで、後は飛んでいく球に委ねられる。米の栽培や茶のようにプロセスに手を尽くす文化をもった日本人にはこういうスポーツはスポーツとして成立させられなかったはずである。
日本には本当に何でもある。何でもあるというのは、必要なものが全て揃っているというよりもごく稀にしか必要とされないものですら流通していて、割と簡単に手に入るというニュアンスに近い。ここアメリカではあれば便利だがなくてもどうにかなるものは多くないし、誰が買うのか全く想像がつかないようなものはあまり売っていない。
何でもあるということは本来ポジティブな面であるはずなのだが、しかしそれらを生産するのに使われる膨大な人的資源を考えれば実際にはデメリットとなっている。明らかに非効率だからである。日本人の勤勉さはかなりの部分が余剰的な価値単価の低いものに使われ、それはゴルフで言うところの初動がいたるところで誤っているからに他ならない。
これを正す最善の手段は学術的な水準を上げる以外にはないだろう。
9月の第二週にサンフランシスコ市内で行われた電子音楽祭では、いい意味でなく現代芸術化するシーンの一端を見たような感慨を受けた。
少なくとも以前はcomposeとはパズルのピースを一片の狂いもなく埋めるパーフェクトデザインを指していた。今はcomposeとdesign(DJ)の境界が曖昧である。複雑さと微細さが人間の考案する組織-システム-に追いつかなくなったために、そして記録と再生が遥かに容易になったために、かつて主流であった”完成”という態度を暫定的にでも諦めてやり過ごしている。抽象絵画の黎明期にはサロンでは常識的な態度であるFiniに対立した作家が新しい時代の勃興を勝ち取っているが、根本的に視覚芸術と原理が異なる音響芸術との比較はできない。レヴィ=ストロースの言葉を借りれば「栽培された思考」であるところのcomposeと「野生の思考」であるdesign、要はブリコラージュのような方法こそが主流になっていくのであろうか。
そういうわけで、こうした時代にあっては、構造のための理論的な支柱がないがゆえに必然的に見堪えのあるところは音の生成の過程となる。その意味で際立っていたのはJemes Feiだった。彼は台湾出身である。 現代的な楽器のインターフェイスはしばしば、アウトプットと身体性との距離が大きいのでコントロールがより難しい。そしてコントロールを諦めたことが露呈したその瞬間、興が冷めるわけである。身体性から切り離されるほどに、そして情報エレクトロニクスの技術が進んだ結果考慮すべき要素が次第に複雑かつ微細になるほどに、音は人間のコントロール下から当然離れていく。Jhon CageのChance Operationという概念はまさにこのコントロール不能となりゆく傾向に対し、それでも人間はコントロールしているのだと言い張るアカデミックな権威の皮を借りた正当化を許されようとする諦めに他ならない。 こうした一時しのぎを通過しながら、歴史は次なる概念を導入する必要に迫られる。
近年の傾向を集約して延長すれば和声と旋律が融解し音程感から自由になった「ビート」のようなものに集約されていくのだろうか。だとしたら、あまりに退屈である。
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May_Roma @ May_Roma
私がなぜ「若者は海外に出ろ」「若者はノマドになれ」と煽っている識者やジャーナリストに怒っているか?それは「夢を売る詐欺」だからです。人生を狂わせる人が大勢いるかもしれないからです。嘘をつかないこと、人を不幸にしないこと、は、最低限守らなければいけないことで、当たり前のことです。
ノマドという言葉は映画史におけるヌーヴェルヴァーグのようなもので、ワークスタイルのある種の傾向を分析しラベリングするためにとってつけた言葉であると同時に、批評の力学をゴダールやトリュフォーやリヴェットのような若い作家に享受するためのひとつのスターシステムのようなものだと思っている。May_Roma女史が「煽っている」という識者やジャーナリストはそのシステムにおける批評家としての役割を演じており、事実彼ら批評家が発信したそのコンテクストの中で安藤美冬やphaといったスタープレイヤーが輩出された。
キャビンアテンダントのドラマが流行った時代はその志望者が増えたというデータがあるが、当然キャビンアテンダントには誰もがなれる訳ではないので、何年もかけて目指した挙げ句素質がなかったために諦めて他の職業に就き、端から見て人生を狂わされたという人もいるかもしれない。そのドラマに対し、キャビンアテンダントという職業を世の中により魅力的に広く伝えた仕事、とするか、「夢を売る詐欺」とするかは個人の主観に依るところなのでどちらが正しいとも言えない。
May_Roma @ May_Roma
@ hayamayuu そうです。大成功するのはごく少数で、凡人が大成功した人の真似をしても無理なんです。自分の身の丈や能力にあったことを、無理しない程度にやらないと、絶対に失敗します。
ただ、彼女の言う「失敗」と「大成功」が具体的に何を指しているのか分からないが、客観的にみて「失敗」したように見える当人の多くはそれを失敗だとは思っていないのではないだろうか。たしかに破産したり生きていく術を失ってしまった場合は失敗ということになるのかもしれないが、重要なのは失敗しないことではなくて、失敗するリスクを勘案してそうしているか、である。
社会に必要なもののうち情報化できるものの割合が多くなったので、仕事が個人に切り分けられていく傾向は不可避である。議論すべきなのはこの傾向を止めるか促すかではなく、それが自然な歴史の流れであるという前提の基、どのようにリトライ可能な社会を実現または維持していくか、ということだ。大局的な「成功」の定義はこの世代の人たちのそれから変わりつつあるので、たとえ識者やジャーナリストが勝手な成功イメージを添えて紹介していても新しい世代には知ったことではない。彼らは彼らのイメージを勝手に具体化しようとするだろう。
ノマド的な働き方に必要なのは、才能ではなく技能である。だから凡人であろうと天才であろうと問題ではない。むしろ、”誰でも生身の状態では凡人である”という事実を認識した上で、訓練を積み重ねていく以外にはない。
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今日9月3日、8:45の便で台北を発つ。今から5時間後には飛行機の中で、さらに3時間後には成田、その14時間後にシアトル、それからサンフランシスコということになる。
日本でハウスの人達にシャンパンとワイン(これは数年前のフランス時代に愛飲していたものを何年も開けずに保持していた文字通りとっておきの一品である)で送ってもらったのがつい先日のように、ここ数週間はあっと言う間に過ぎた。
台湾に最初に注目したのは数年前、私が今の仕事を始める頃、優れたWebデザインのサイトを漁っていた時である。それはひとつの歯科医院のサイトであったが、日本でなら病院のWebなどひとつ残らず版を押したような形式的で没個性的なデザインであろうところが、まるでフォトアルバムのように美しく動くそのサイトを見て、その国の創造性を感じとったわけである。
確かに首都台北といえど、一部の先端エリアを除いてはまだまだ発達の度合いは後進国の様相であるし、事実平均賃金も3万NTD、日本円にして10万円弱であるからあくまでポテンシャルであるものの、その芽はあちらこちらで散見される。
HTCは苦戦しているようだが、Marcos Zotesの3D投影や新都市Gardens By The Bay、または電通のiButterflyの情報すらコンビニでどこでも売っているメディアから気軽にアクセスできるほど世界情勢への感度が高いし、誰でもテレビをつければハリウッドや韓国や日本の文化を各国のチャンネルから吸収できる。通常自国チャンネルだけ流れてくる我が国とはこの辺りが決定的に異なる。
ちなみに台湾は日本のカルチャーをリスペクトしていると言うのがネット含む日本語メディアの通説だが、これはすでに一昔前の話で、今は韓国の方がクールだと言う人はざらにいるし、圧倒的に英語圏への憧れの方が高い。教育上、両親は台湾人であっても子供と英語でしか話さないなんて家庭は珍しくない。
なんでも柔軟に吸収し、尖ったものへの抑制が少ない寛容な国。日本も昔はこうだったのだろうか。横並びなムードをそろそろ脱しないと、置いて行かれてしまうよ。
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最近ではノマドやノマドワークという言葉が一人歩きしながらテレビなどでも話題にされるらしいが、多くの人が誤解しているのは、この言葉が「遊牧民」という言葉から派生しているというものである。
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そもそもの問題点として日本人はたとえ高学歴層であっても、米国の上位大学で義務的に課される習慣つまり古典的なテキストをあたる習慣がある人種はかなり希少なので、文脈から切り離された言葉の印象を基点とした議論に陥りやすい傾向があると思われる。
経済学者の池田信夫氏も度々ツイッター等で経済学用語の誤用に怒りを示しているが、抽象概念は歴史を背負って存在する、言葉が文字通り進化したものである以上、その言葉を定義づけるテキストを読まなければ本当の意味で正確に理解することは難しい。
そして議論は言葉を通じてなされるのであるから、特に抽象度の高い概念を用いる程、そもそもの言葉の定義がずれていてはまともな議論になり得ない。
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まずノマドという言葉を議論の俎上に乗せる前に、これが「超ノマド」という概念に由来していることを理解している人がどれだけいるのだろうか。
超ノマドとはフランスの経済学者、思想家でありまた初代欧州復興開発銀行総裁を努めたジャック・アタリの著作『21世紀の歴史』で記述される、情報化社会以降の現代において携帯可能なデバイス(ノマドオブジェ)と専門的な技能を駆使して土地に依存しないフロー型の生活を行う者のことである。
超と言うからには超でない普通のノマドという概念からの派生であるが、この場合のノマドも遊牧民を指しているのではなく、情報化社会以前の社会で移動を伴う生活を行っていた人種のことを指し、これは12世紀に会計技術の発明によって金融業が栄えたジェノバをはじめとする「中心都市」とその中心都市を巡っての大局的な人の移動という文脈とともに説明される概念であり、当たり前だが広辞苑で引いても同じものは出てこない。
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重要なことはデジタル技術の発達により、我々が社会の中で生み出すもののうち情報化できるものの範囲が広がったので、情報を効率よく伝達できる移動性のツールを伴って「土地という制約からより自由になる人種」が増えるということである。
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従って、ノマドという言葉を単純に遊牧民的なイメージとして語るのは、言ってみれば「オタク」を〜オタクのオタクと同一概念で語ることと同様、言葉の進化のコンテクストを無視した行為であると言えるだろう。
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今シンガポールにいる。バターワースから寝台特急に乗り、クアラルンプールから高速バスで移動した。
シンガポールの目に付く小学生くらいの子供達の殆どがタブレット端末を携帯している。小学生の頃にPC98やMacintoshが教育機関に配備され、中学でWindows95が一般家庭に普及した我々の世代とは見ている世界が異なるのだろう。見ている世界が違うということはそのまま異質の文化を醸成する可能性を孕んでいる。
フィリピンやシンガポールに対し、マレーシアでは英語が通じにくい。正確には訛りがきついので非常に聞き取りにくい。ますます増加する英語を話す人々にとって今後英語でのコミニケーションに支障のある地域はそれだけで敬遠の対象になるのではないかと思った。少なくとも英語が通じやすい場所の方がストレスレスで居心地がいいのは間違いない。最低でも公共のサービスで英語の通じる国とそうでない国では人の移動の流動性に大きな差が生まれるのではないだろうか。交換が困難な通貨が流通している国で物流が滞るようにである。つまり相対的に異質なものとしての立ち位置を余儀なくされるということだ。英語の通じる程度が様々な国を行き来しているとそう感じてしまう。そして諸外国から見て日本という国はまるで異質なものと見られていたし、今もそうであるのだろう。人の流動性が停滞した都市は今後都市と呼べるのだろうか。
「日本人の9割に英語はいらない」は個人に対してのタームとして正しくても、日本や東京にとって正しいとは思えない。たとえそれらを構成するのが個人の集合体であってもだ。埋め合わせられる革新的な技術資源があるなら別なのだが今のところそういったものはまだ生まれていない。
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タイ、バンコクからマレーシア、バターワース行きの列車に乗っている。
バターワースはタイ国鉄とマレー鉄道の中継点であるが、バターワースからはクアラルンプールまでKTMを使う。マレー鉄道KTMは3月に貨物列車が脱線した影響でシンガポールまで運行しておらず現在クルアーン止まりだからだ。
因みに広告コピーでしばしば使われる、「マレー鉄道で半島縦断」は嘘である。マレー半島の陸路での縦断はタイ国鉄とマレー鉄道あるいはバスの組み合わせで可能になる。
バンコク、Pratunam地域はきってのショッピングエリアとだけあって平日でも活気がある。特に服屋は数、量、価格ともに卸市のようでありバイヤーなら何日もいられるだろう。タクシーに乗れば日本人と分かるやメーターを止めて運賃交渉に入るほど商売気が湧いている。そのため少々疲れることもある。
先日FacebookがInstergramを買収した。同社にとって過去最大級の買収であり、またこれまでの人員確保のためのそれとは違いサービス自体の吸収を目的にしている。よく競争相手として上がるGoogleがすでに多くのサービスを飲み込み、検索エンジンを入口としたコングロマリット型のサービスを展開してきたのと異なり、FacebookはこれまであくまでFacebook自体の改良と他社との連携という形で発展してきた。Facebook対Googleというタームが正しいかはさておき、売り上げ規模もまだ桁違いの両社はようやく比較の土俵に上がり得た段階にあるのかもしれない。勢力図はますます集約化が進むだろう。
4/11執筆
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