Money is Time 1

2011/12/14

時間と金は等価と言ってもいい。
外食をしたり交通機関を使ったり娯楽を消費したりといった消費活動はある意味時間を金で買っていることと同じだ。

外食は食物を育て収穫し調理する作業を外注していると言えるし、電車を使うのは別の街まで歩く移動時間の短縮分を金銭と交換していると言える。

特産品も最たる例だ。コロンブスが塩を王家に調達するためにインドを目指したように、流通が今ほど発達していなかった時代ではその土地に行かなくてはわざわざ行かなければ手に入らなかったし、あるいは手に入れることができる特権的な階級にまで上る必要があった。今は金で買うことができる。
金銭価値が高い高度な体験や物品ほどそれを自力で生み出すには時間がかかり、逆に言えばそういったサービスを金さえ払えば体験できる現代は一人あたりに与えられた時間が増加したとも言える。

こういうことを書き出すと延々と続けてしまいそうなのでまた続きはそのうち書くとして、高度情報化時代を経て労働の効率化に成功した人類は、与えられた有限の時間を増やす最後から二番目の方法として、今後いかに働く時間=時間を増やすための時間を減らしつつ消費活動のレベルを維持するかということに熱心になるだろう。
最後の方法とは生命活動の時間そのもの、つまり寿命を科学的な手法により増やすことである。


開発手法の効率化によるプロジェクトの製造サイクルの短期化と、有力なクリエイターの移動の活発化が相互依存的に高度化すると、地理的に分散してネットワークで版合わせをし製品を開発する傾向は今後ますます強くなり、情報漏洩防止への簡易的な解決への要求が高まる。
現在ではコンプライアンスの固い組織程、組織に情報と情報を扱う者を閉じ込めることで達成されているが、その方法に頼る企業は有力なクリエイターを確保できず優位性を失う。資本を投入し製造し市場に投じるまでの数週間から数ヶ月間の間だけクリエイターに与えた情報をコントロールすることが可能となるソフトウェアサービスが近い将来爆発的に普及するだろう。

そしてこれをきっかけとして分散型の製品開発は急速に発達し、移動インフラの充実化は加速され、移動型社会の夜明けが訪れる。


予算とスケジュールは絶対法。越えるものを作ろうとしてはならない。
テーマが決まると作りたいもののイメージが沸々と湧いてくる。インスピレーションが刺激され、クリエイター魂が燃える瞬間のひとつである。
しかし、そこであなたがシャワーを浴びている間にどんなにクールなアイデアを思いついたとしても、1.予算、2.スケジュール(1と2は往々に不可分だったりするのだが)、つまりこれらをリソースと呼ぶことにするならば、リソースを越えるアイデアには絶対に手を出してはいけない。

それがフレッシュな水飛沫の中でアドレナリンを迸らせたどんなにクールに思えるアイデアでもだ。なぜならばリソースを越えた辺りから、当初のモチベーションを維持するのが困難になり始める。
クールなアイデアを実現させる過程では、うんざりするほどの地道な作業が付きものだ。その苦労を精神的にも物質的にも完成まで支えられる環境を確保し続けられるだけのリソースの余裕が必要であり、そのひとつである報酬があなたの労に見合わないと思えてしまった途端にモチベーションが瓦解し始めるだろう。
仮にあなたが十分に身銭を切れるほどの潤沢なリソースを持っていたり、あるいはVCから50万ドルの出資を受け、世界を変えるプロダクトを開発しようとしているならそれでもいい。周囲に迷惑を懸けない範囲で思う存分傑作に汗かくべきだ。
そうでないならば、そのクールなアイデアは次の機会のために温め、時がきたら実現させればいい。その頃にはとるに足らないものに思えているかもしれないし、より洗練されたものに深化しているかもしれない。
具体的にはリソースの範囲内で量より質の発想から小さくとも高いクオリティで一転突破するのが得策だ。