ChatGPTに知能はあるか
1. 創発性
2. 論理
the bird in a herd
a bird in a herd
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(2022年2月18日ラハイナにて)
ラハイナは天国への寄港地のような場所で、米国ハワイ州のメインランドから飛行機で東に40分飛んだ離島マウイの南岸にある。
島で最古のコアの木が円形に広がるバンヤンコートの周辺、フロント通りには、朝も夜もバンド演奏が穏やかに鳴り、みな日々追いかけてくるものを忘れ、空と山々と海の運ぶ空気に包まれている。
3千キロ四方に大きな陸地の存在しない、この世界で最も孤立した場所は科学研究の言わずと知れたメッカで、火山島として誕生した7500万年前から5万年ごとに1種が飛来、生態系に適合し、ポリネシア人が到達した1500万年前から数千種が新たに持ち込まれ、6千種の独自の種と、わずか一島に冷帯気候以外のすべての気候環境を有した、稀有な環境を形成する。下降気流と適度な偏西風は青い空と乾いた風と色鮮やかなブーゲンビリアをありふれたものにし、かくしてこの地は楽園となった。
人々は人生の仕事をやり終えたとき、物心がついた頃から背負ってきた期待や知識、欲望を捨て、シンプルな生活に回帰する。多くの生物種に生の段階があるように、人間にもそれがある。ただ、人間の場合は、それを選択することができる。
ここから車で1時間ほど東に海岸線を走ると人静かなマーラエアの港がある。
老婦人にベーグルをオイル少なめで焼いたサニーエッグ付きで作ってもらい、シングルビーンのコーヒーを一杯飲んで段取りを整理してから97番目のスリップに停まる船に乗る。クルーの話では,電話ごしに滑らかに笑うオーナーの妻は日本人らしい。どこか特別な親しみを感じ取れるのは、70年代の外貨交換規制緩和とバブル経済で全旅行者の48%をも占めた顧客としての記憶というよりは、戦前のマルチエスニック社会で4割を占めた日系人の血を引く人々が、今も10%以上も存在する因果に依るのかもしれない。合衆国併合前のたかだか200年前は超大国スペインが覇権を争った。歴史は瞬きするような時間で様相を様変わりさせる。
シリコンバレーに居た2011年頃、円相場は1ドル75円の最高値を記録した。それから約10年が経ち、円は1.5倍のオーダーで安くなった。国内で物価変動を実感することは稀だが、海外では何もかもが割高になった。なぜこのようなことになったのだろうか。
2001年の小泉政権下での量的緩和開始以降、それまで同等に推移していたドル円の購買力平価と実勢相場の差が拡大を続けた。輸出物価の購買力平価 (インフレ率や貿量額で重みづけし、一物一価の法則が成り立つ時の為替相場を算出した指標)は通貨の実質的な購買力を表す。2022年現在、1ドル=113~116円の為替レートに対し、1ドル=60~70円*だから円は実力の6割しか出せていないことになる。日銀はインフレ目標を達成するために量的緩和を繰り返してきたが、マネタリーベースと物価が無関係であることは結論が出ている。実際、日銀も2003年にゼロ金利下での量的緩和、マネタリーベース・チャネルとその経済効果を検証した論文**を公開しており、そこでは明確に、マネタリーベースを増やしても効果は極めて限定的かつ不確実である、と結論付けている。
* 国際通貨研究所のデータによる
にも関わらず、2006年の解除後、再び2013年の第二次安倍内閣発足とともに量的緩和は再開、金融政策は自民党政権に屯する御用経済学者らのプレイグラウンドとなった。彼らは悪くない。多分国家のことを考えて真剣に取り組んでいる。ただ、少し思考の問題で、複雑なシステムを捉えられず、単純化したモデルが現実に当て嵌まると、思い込んでしまっているのだ。
悪貨は良貨を駆逐し、そして通貨は供給される。
過剰なマネーサプライは通貨安だけでなく金利の低下を生み、円で借りリスク資産に投機する流れを生む。実際に2009年のゼロ金利下でサブプライムローンなどドル建ての債権が、元は低金利で借りた円で買われた状況がこれに当たる。結果、バブルは崩壊し、幸いにもリーマンショック後に無事円は買い戻されたが、この清算に海外投資家が失敗した場合、円を用立てした日本の金融機関は最終的なババを引き破綻する潜在的なリスクを負っている。日本の無担保コールレート(金利)は今もほぼゼロに近く、先進国の中でもスイスに並び異常に低い。リスク資産が買われると当然資産価格は上昇する。市場にはマネーが溢れているしリスクプレミアムも下がっているから価格はさらに上昇し、バブルが形成される。そしていつか必ず破れる。こうした余剰マネーを集める投機的資産の本来価値はずっと低く、需要を維持しつづけることはないからだ。
だから、マネーサプライを過剰に続ける限り、バブルは今も膨らんでいる。2010年代に膨らんだ分は、パンデミックで解消するタイミングが流れ、ゲージは2周目に入ってしまった。次に崩壊する時はその分、影響力もいっそう大きいだろう。
それでも円安で景気が良くなる、といった議論が未だ消えないのは、循環する経済の流れの局所を見てそれが全体最適だという錯覚に陥っていることに依る。百万円で物を売る時、1ドル=百円なら1ドルが手に入るが、1ドル=五十円なら2ドルが手に入り、輸出を善とする価値観では正義でも、こうした重商主義は18世紀に片が付いている。
円が弱く、購買力が低いことのミクロな弊害は、潜在的なリーダーが国内に引き留められ、その影響は質的に無視できない。日本はゆとり教育改革でエリートと非エリートの詰め込み負担を減らしたが、平等主義に忖度し、能力階層差に分離することを拒んだことで無に帰し、エリート層の脱近代化に失敗した。賢明な親は子を国外に遣ろうとする。弱い円はそれを困難にする。都市非都市間の情報格差は埋まったが、今や将来世代の経済格差は私塾より英語圏での国外教育の可否という形で現れる。安い円は個人や企業を国内に引き留める。
私たちの奇妙な形をした島国は、ある種の楽園でありながら、平等主義と日和見主義の蔓延する桃源郷となった。私は母国を愛しているが、英語圏で日本人と会話することは、次第に耐え難さを増している。この傾向は他言語能力に比例し強まるはずだから、円の供給と違って以後緩和することはない。トッドが「世界の多様性」で論証したように日本とドイツは5つの家族構造の中で直系に属する。世界経済の中でGDPの推移も産業構造も類似したこれらの国に感じる共通した感覚は閉塞感と無関係でなく、デバッグ可能な社会制度というより、出荷時に書き込まれる不揮発性のプログラムのような、幼少期を過ぎるまでに確立する人間の性分に起因する可能性が高い。だとすれば想像以上に問題は根深く、正常な感覚を保ち続けるためには、移動し続けることが何より重要だ。
クイーン・カーフマニュセンターでバスを待っている間に話しかけてきたブロンドの人懐こいアメリカ人女性カトリーナは、シアトルからの直行便でバケーションで来ていて意気投合した。日本が好きかと聞くので、「日本は愛しているが安全過ぎて退屈な社会だ」と言うと、何それおかしい、と言うように笑った。
2019年の初頭、INF条約に違反しロシアが中距離核戦力ミサイル発射システムの開発を開始した際、超大国の終焉が近いこと、ロシアと中国、北朝鮮らのリスクの高まりを論じた。
(20年後の世界と取り残される人々 激動の時代の始まり、塗り替えられる勢力図)
その後、同様に危機意識を持つ人物はこの国には見つけることはなかった。
そして先週、西側が派兵をしないと宣言するや勝機と見たロシアはウクライナへの侵攻を開始した。米国の経済力と軍事力を背景にした安全保障による世界平和のレジームは終焉し、新しい時代に突入したことに、世界は気づき始めた。ウクライナは核戦力を放棄して手に入れたはずの安全保障が無効だったと知り、EU加盟に救いを求めた。この傾向は巨大テック企業からの徴税が益々困難なことに由来する、民主主義国家の脆弱性による超大国の終焉によって、さらに加速する。
非民主主義国家中国には軍事力経済力ともに覇権国家に接近しながら、これまでの米国の役割を代替する意志はない。北京のリーダーは2023年に迫る全人代があるため慎重な姿勢を取るだろう。それでももし彼らが動いた時、世界は混沌の渦に包まれることを覚悟しなければならない。
そして日本は地政学的に重要な場所に位置し、また核戦力を放棄して安全保障の傘下に入った点でウクライナと相似である。北方領土に侵攻されたとしても主権領域外としてNATOによる防衛機能は動かないだろう。
百年にも満たなかった、平和の時代の終焉、超大国に身を委ねれば平和でいられた時代は、歴史の行間に存在する儚いひとときであった。
私たちは閉ざされた世界から脱し、自分自身の足と目と思考で、真実を知る感覚を研ぎ澄ませている必要がある。
*ウクライナ問題については3/1に追記
自然と人工物は相克してきた。少なくとも近代的な価値観では。
“例の問題”に再び向き合いはじめ、昨年初頭前稿を書いてからしばらく経った頃、ひとつの仮説を見出した。詳しいことはここには到底書くことができない。やや具体的には、進化のより進んでいることを示唆する信号、自然物とそうでないものを区別する信号、そしてそれらを支配する情報の保存と伝達のシステム、とりわけ、知能を持つ生命やその身体の発する振動あるいは草木と風の送受信する振動。かつて、生態学者の間には森は安定状態、あるいは復元性=resilienceを全体最適化するひとつのリダンダントなシステムであるという理論があった。現象にはメカニズムがあり、鳥や人間の歌もまた、系のルールに従っている…。昨年冬はマウイ島やメキシコ湾に、必要なデータを採取しに行くことを計画し航空券も手配したところで機会を逃し、そうこうしているうちにパンデミックで空路が途絶え、極東の奇妙な形をした島に隔離されてしまった。
2019年1月の前稿『20年後の世界と取り残される人々 激動の時代の始まり、塗り替えられる勢力図』では中国をめぐる脅威、既に2014年には世界一だった購買力平価(PPP)ベースのGDPと、増大する経済力・技術力を背景に南シナをはじめ急速に軍事力を拡大していることを書いた。それから日本国内でこの問題を案じるような人物にはついぞ出会うことはなかった。
前稿から1年半の間、世界はさらにどこかの地に歩みを進めた。昨年4月に香港では逃亡犯条例改定案を契機にデモが過激化し、今年6月に香港国家安全維持法が可決、香港での反中国的言動の自由は事実上禁じられた。1月には習近平が一国二制度による対台湾政策を提示、蔡英文はこれを否定、その後蔡は台湾総統選に勝利したが、今も統一か独立宣言による武力侵攻かの危機に晒されている。昨年3月には米ソ冷戦後初の特別な危機委員会となる「Committee on the Present Danger: China (CPDC)(現在の危機委員会:中国)」が米国で設置、今年8月には中国ファーウェイ社製の通信機器にバックドアが仕込まれているとし、関連企業への禁輸措置を強化、米国からの半導体やソフトウェアの同社への供給を全面禁止した。世界はすでに冷戦の様相を呈している。
私たちの社会は、2050年までに高密度化する都市とロハス的理想郷としての陬遠地域の二局構造に収斂していくだろう。今とりわけ九州のある地域を足がかりに検証している。二元論的な、あるいは要素還元主義的な、文明というある種の生態系システムへの再考に、人間社会は直面する。そのことは人間と、ネットワークを流れる情報を含む、人間以外のあらゆる全てとの関わり方について再考の機をもたらした。今から17年前、高校三年の時、この近代合理主義への問題を懐柔できず彷徨する羽目になった。森や草木の遠望される形態は、高解像な4K映像を通じて、45億年の進化に裏打ちされた、圧倒的な正義として表示される。ピクセル密度の変化は「画素数」という一見してリニアな量的変化を超えて、何か質的な変化を私たちにもたらしているように思える。周波数知覚の認知が可聴域限界を閾値として、いわば「相転移」するかのように。そうして見える空撮映像は、文明という人工物の「玩具」に過ぎないことを露呈してしまった。
カイロは西のピラミッドを望むギザ地区から、2011年にナダルの事実上独裁政権を降ろしたエジプト革命の中心地スクエアを通り、西の新都市ニューカイロまで100kmほど車で横断すると、5000年の人類の歴史をパノラマで見ているようで感慨深い。
東に進むほど道路脇の看板は英語で書かれ、まるで南国リゾート地のようなパースが並び、背後の砂漠がリゾート地に変わることを夢見させる。
2013年のクーデター以降、シシ政権下で生まれた都市だ。ここにユダヤが流入し、10年後にはドバイに並ぶ中東の中心都市となるだろう。
彼らの顧客は世界に開かれている。
この観光客のほとんど訪れることのないEl Shoroukエリアに住むのは多くが多国籍企業に勤める人々だ。
彼らは思考様式も顔つきも所作も、西側の人々とはまるで異なる。
こうした人々と話をしていると、その土地に依拠した仕事をする人々、世界企業コミュニティ、グローバルクリエイティブな個人(超ノマド)、の3つの階層に人々は分断されつつあるのが明白になる。国際社会では英語で母国語同等の速度で自分のアイデアを話せなければ重要な人物とはみなされない。
世界が急速に変化している中で、今や先進国の中で取り残されつつあるのがヨーロッパと日本だ。
今、ほとんど戦争と言えるほどの激動さをもって世界の情勢が様変わりを始めている。
名目GDPはIMF World Economic Outlook Database(2017)によれば、
であり、中国が米国に追従しているかのように見える。
しかし、物価の差を考慮した購買力平価(PPP)ベースでは2014年には中国は米国を抜きトップになっている。最新のランクは、
成長率では米国2%に対し中国7%であるから、名目GDPでも数年以内に米国を抜く可能性が高い。
GDPは単に経済的な競争力を示すものではない。GDPが重要なのは、その余剰が軍備に回され軍事力に転換される点にある。
中国はすでに戦闘艦艇の数で米国の約2倍を保有している。対艦攻撃力ではアメリカ軍を超えたと言われ、PPPベースのGDPで米国を抜いた2014年には南シナ海に7つの人工島の建設を開始、2018年までの4年間で米軍の接近を阻止する地対艦ミサイルを配備、南シナの制圧をほぼ完了させている。
2018年、韓国文政権は米国の意向を無視し北朝鮮と連帯を強める政策に出た。朝鮮半島は特にロシアの南下を脅威としていた帝国主義の時代までは米国にとって地政学的に重要だったが今はそうではない。ロシアの影響力が低下した今ではその地理的優位性は下がり、米韓同盟がアメリカの国益において重要でなくなった。
トランプ政権はこのため朝鮮半島からの撤退を示唆しており、在韓米軍は2019年に撤退する可能性がある。
同時に経済力軍事力ともに米国と互角となった中国、および中国が援助する核兵器というカードを持った北朝鮮の2国間との連帯を強める方が韓国文政権にとって得策と見ているのだろう。韓国はより中国に歩み寄る。
3国内で中国が交渉力をもっているから、中国の地理的弱点である半島の南西側の平地に壁を作る目的で38度線を維持する力学が働き南北朝鮮統一は行われない。
中国は北朝鮮と韓国への支援を続け、この3国は独立を維持したまま連帯する。
在韓米軍撤退のシナリオでは中国への牽制力が弱まり中国側に好機をもたらす。
技術力では中国はソフトウェア、韓国はハードウェアと通信で世界トップであり、核ミサイル技術をもつ北朝鮮を傘下におくことで合法的に核武装も完了している。
データ主導のソフトウェア時代では民主主義国家よりも独裁に近い国家が有利である。
日本がもつ唯一のカードは米国に地理的に極東の軍事拠点を提供することであった。
一方で2018年10月には7年ぶりに日本政府の中国への公式訪問が行われ日中協調路線を復活させたように見えるが、中国政府にとってこれが建前に過ぎないのは国家主導による経団連へのサイバー攻撃からも明らかだ。
日米保安条約の限りでは日本の領土への米軍基地提供に選択権はないが、台湾と同様軍事的に対中姿勢を取るか、米中のパワーバランスに従って軸足を調整する戦略をとる以外にない。
いずれにしてもこれまで同様プラグマティズムに終始する。
朝鮮半島からの米軍の撤退如何が鍵になるだろう。
世界は急速に変化している。
個人ができることは、いつ没落するとも知れない国家やローカル文化に依存しない普遍的な力を手に入れ、世界とつながることだ。
より具体的には、言語、テクノロジー、グローバル感覚、の3つの力が必要だ。
日本語圏でのコミュニケーションの殆どがローカルでしか通用しないコンテキストで構成されてしまっているから、まずはここから脱却するところからはじまる。
そして数万大規模のコンピュータクラスタによって世界の情報を処理できるシステムを自国の内部に持たない国家は情報テクノロジーで優位に立つことはなく、新たな帝国主義の時代が来るにつれ属国となるより道はない。
劇的な変化は10年以内に少なくない確率で訪れる。20年後にはまるで違う風景が待っているだろう。
東京にまた帰ってきた。ここ数年毎年シリコンバレーに通っていて、最初あの地域に行ったときのあの宗教的熱気のようなものは次第に薄れているような気がする。一言で言えばノイズが増えてきた、ということかもしれない。最近東京に来たカナダの友人も似たようなことを言っていた。
始めてベイエリアに行った頃からの数年来の悪友でありコリアンのエドワードと最近LAに行った時、彼が話していた共産主義への考察が核心を突いていて面白かったので取り上げてみる。
現存する共産主義経済体制をとっている国に北朝鮮がある。(政治的には社会主義国)この国が金日成時代の封建社会から脱する際に、黄長燁という理論家が制度設計のための中心的思想を形成した。黄は当時一党独裁国家であったソ連のモスクワ大学で哲学博士を取得した程の生粋のマルクス派であり、当然ながら北朝鮮の根幹思想チェチェ思想にマルクス主義は存分に反映される。しかし1997年黄は「共産主義に未来はない」と言って韓国に亡命を図る。彼はその後アメリカを中心に反金正日政権運動を展開し、2010年の時点で謎の死を遂げる。なぜ一国の制度設計を行うほどの頭脳が共産主義を理想社会とみなし、そして後にそれを失敗とみなしたのか。
他国から見れば北朝鮮に暮らす人々はなんという不幸な生活を送っているのかと思うだろう。情報は遮断され、一切の贅沢品は禁じられ、髪型まで統制され、毎日決められた仕事をこなすだけだ。しかし、もし彼らがそうした計画された人生以外の可能性を知らないとしたら。組織での出世も若くして成功する者も、社会でのいかなる勝者も敗者も階級も、高級車もエルメスのバッグも、一流のフランス料理も存在しない。そもそもそうした概念が存在しない。概念がなければ自分たちはそれを欠いているという意識すらもつことができない。欠いている意識がなければ不幸にはなりえない。その味を知らなければその味を欲することもないのだから。仕事は平等に与えられ、失業する心配もない。必要十分な暮らしを送り、日々の些細な機微にだけ気を揉む。
曰く、共産主義の世界というのはおそらく各自の役割と生活が全て用意された韓国での兵役に似ていて、要するにそこは、競争、目標、自己実現といった概念の存在しない世界であり、ゆえに劣等感、被期待感、明日への不安、プレッシャーといった資本主義社会では必須の感情から自由になった世界である、だから時々その心地よさが懐かしいのだという。
そうした実現することへの欲求に伴う一切の苦痛から自由になった世界で、日々の役割をこなし、周囲の人々と談笑し、食べ、寝る。そうしているだけで生きていく上での不安は何もなく、明日がまた訪れる。これはまるで典型的な天国のイメージのようだ。
それでもこの混沌としていてひどく疲れる今の世の中の方がずっといい。だから、このあらゆる矛盾と苦悩に満ちた世界は、実はどこかに天国があるとすれば今、まさにこの世界なのだろうか。
チップ制度というのは日本人にとってはあまりなじみがないので、はじめ色々と疑問が起こる。何も疑問を持たずにただそういうものだと受け入れられる人もいる。でも世の合理不合理を追求するのが仕事のような日常では、つじつまのあわない慣習を何食わぬ顔で飲み込み咀嚼するということは殆ど不可能だ。はじめからチップを支払うのが前提ならなぜ正規料金をチップ込みの値段にし従業員の基本給を上げない?タランティーノの『Reservoir Dogs』でチップシステムの奇妙さを饒舌な台詞で聞かされている場合はなおさらだ。
たとえば昔、特定のレストランに足しげく通いながらもチップを払わない、という行動をしていたことがあった。今となっては奇行と言っても良いほど不可思議な行動だ。チップを払わないことはそのサービスを否定していることと同じであるから、否定しながらも頻繁に訪れるとしたら嫌がらせに他ならない。必ずチップを払うようになると、従業員の態度が目に見えて好意的になった。このことはたかだか数ドルのチップが彼らにとっていかに無視できない何ものかであることを示している。
以後、種々の文化的背景を持つ友人とこの話について議論し、同時にチップを支払うことを習慣化していくうちにチップ制度の精神性を徐々に会得するにいたった。こうしてチップの起源を察するに2つの仮説-性善説と性悪説-が導かれる。
第一に、日本の接客業において常識となっている態度、全ての顧客に対してその顧客が何者であってもできるかぎりの接客を行う、というごく自然な前提は西洋にはないらしい。少なくともアメリカにおいて人々の道徳教育は行き届いていないので、従業員が経営者の目を盗み瑣末な接客を行うことは常に起こりうる。したがって、チップは人々のサービスレベルを一定に保つ為の経営戦略が自然と慣習化したという、ダニエル・ピンクによって否定された一種の成果報酬制度である、というひとつの仮定だ。
第二に、使用人という文化になじみの無い国民にはプライベートなサービスという感覚は掴みづらい。日本において公の場での接客業といえば特殊な業務を除いて不特定多数への接客という意味合いであることが殆どで、たとえ一度に接客するのは一組の客であってもその客はあくまでワンオブゼムであるという考え方だ。対して使用人の文化が一般的だった文化圏では、たとえ一度に数組の客を抱えていても関係性は1対多ではなく、1対1となる。チップを介する接客においてサービスとは主人に対して行うもので、客はその場において主人になり、主人であればサービスに対し当然報酬を支払う、という考え方だ。この関係性ではチップは報酬であり礼であるから、チップを支払わないのは礼を行わないのと同じことなのだ。
最近アメリカ社会でのエリートと呼ぶにふさわしい人物と話をする機会があったので、文化的な話を色々ともちかけてみると案の定盛り上がった。教養がある人というのは、大抵何か共通した印象をもつ。それを言葉で説明するのは難しい。
教養とは何だろう。英語ではcultureなどと訳される。それは文化とイコールなのだろうか。教養は持つものと持たないものをつくる。社交界やアカデミーにおいては教養は共通言語として働き、持たないものはそのコミュニティの中での尊敬を得ることが難しくなる。どれだけ裕福か、例えば年収がどれだけあるかといった指標は客観性をもつので比較しやすいのに対して、教養の程度は数値化できない。社会的には力がありながらも教養が無いと、時として品がなくまた精神的な成熟さを欠くように見える。
教養が一部の人々の共通言語として機能するのは、それが知的好奇心を示すひとつの指標になりえるからだろう。知的な人々にとって幸福をもたらすのはその知的な好奇心や感性を刺激するものであるはずで、知的好奇心がなければ共感できない対象への理解を表明することによって、互いが知的刺激をもたらす間柄であるということを暗黙のうちに確認し合う。歴史のロジックを読み解くのもおもしろいが、世界の古典的名作はしばしば単純な言葉では表現できない微細な情緒を含む。そうした豊かさを感じられる心こそ人々は教養を通じて確かめあうのかもしれない。誰だってドラマチックな瞬間が好きだし、それを台無しにして興ざめさせられたくない。私の知る限り教養のある人々は得てしてロマンチストだ。
だから教養は俗に思われているような高飛車な差別主義ではない。特別な飲み物をもってして研ぎすまされた味覚を確認しあうように、ある種の知性や感性に間する純度の高いメディアによって瞬時に人々を結びつける高度に抽象化されたコミュニケーションである。
ウディ・アレンの『SMALL TIME CROOKS』(おいしい生活)という映画がある。偶然億万長者になってしまった無知な夫婦が方や社交界で通じる人物になるべく家庭教師のもとで学び、方や元の俗的な暮らしを取り戻すべく二人は離別するという話だ。ババ抜きやインディアンポーカーにふけってグルタミン酸でどろどろの中華料理とピザを食べるレイは滑稽だが、「教養のある人」となるべく退屈なデカダン演劇に浸ったり辞書で覚えたAのつく難しい言葉を並べ立てるフレンチは更に滑稽だ。だって教養とはおそらく衣服のように身につけるものではなくて、身そのものなのだから。
自分にとって無害な他人の趣味や行動を否定するのはナンセンスだが、何かを終えた影響力のある人達はしばしば世界一周に向かうらしく、こうした傾向がこの国である種のブランド性を帯びつつあるなら奇妙である。
若者は世界に出ろという助言がメディアを通して毎日のように吐きだされている。真面目な若者はそれを聞いて真に受け、危機感を覚えるかもしれない。危機感というテーマはこの国とって重要な問題なのでそれは悪くない。ただ、世界に出る理由がないのに出ようとする意味は全くない。
例えば7日間の海外旅行ツアーでどこかの国に行くことには、景色と食べ物が変わる以上の意味はない。念のため景色と食べ物が変わることに意味がないと言っているのではなく、それ以上でも以下でもないという意味だ。そして一般的に行われる世界一周とは、このツアーのようなものが1年程度の間連続したものと殆ど相違ないと私は思っている。
まず第一に、各々が短い。どれだけ密度を濃くしても人間の物理的な新陳代謝の速度には逆らえないので、細胞がその土地に溶け込むのに絶対的な時間の経過を待たなければならない。経験上、外部環境が血肉化するのには通常、最低でも数ヶ月の時間を要するので、数日や数週間の滞在でその土地外部からの視点が一定以上抜けることはない。外部としてその土地と接している限りは新たな客観性を得ることがないから、己を見る目も自国を見る目も大きく変わらないし養われない。そしてこれらを獲得することこそ必要に迫られない状況で世界に出る場合の殆ど唯一の意味であると思っている。
仮に丁度一年の期間をかけて世界の20都市を回ろうとしたとき、48週間÷20=2.4週間しかひとつの都市にいることができない。そして2.4週間は内部者として適応するには短過ぎるし、具体的な理由がなく居るには長すぎる。例えばキューバのクラーベのリズムを体得するとか、ニュージーランドの大規模ファームの収穫期に関与するとか、そういう理由である。そういう類の目的を体験レベルでなく遂行するには通常まとまった期間が要る。
ピースボートという企画がある。これは世界一周が目的というより、移動する客船という特殊な環境下の長期的に固定された人間関係の一部になるというのが主旨であって、客船が世界一周をするという装置はそれがなくては成立しないものだからこれは特殊な例と言えるのかもしれない。
要するに世界一周をするなら、それよりも最低数ヶ月間ある土地でまるでそこの住民になったかのように生活してみる方がいい。幸い日本は国際信用度の高い国なので数カ月程度なら大抵の国で難なく滞在許可が下りる。最も基本的なことはある国に行くという単に手段に過ぎないものを目的と混同しないことであり、明確な目的なしに海外に出ても退屈なだけだ。具体的な目的があり、それが達成に近づく頃には自ずとその土地の内部へと接近しはじめる。私は幸運にも世界各国の主要な都市に友人がいる。彼らの殆どはその時その時で人生の目的の一部分を共有してきた仲間だからその存在を忘れることはないし、目的が明確なのでどこにいても助け合うコンセンサスが自然と生まれている。今この時代で必要なのはそういう仲間だといつも思っている。
東京に帰ってから二ヶ月が経った。
複数の事情が重なって春になるまでは日本にいなければならない。
私の友人であり同時にアメリカにおけるメンターでもあるチャドはPayPalのファウンダーの一人であるPeter Thielをクライアントに持つ投資会社のアナリストで、前歴はフォトグラファーとしてインターネット業界に関わった後ハーバードの大学院でファイナンスを学びVCやPrivate Equity業界に転職した。
彼がWestfieldのカフェで話してくれた感動的なアドバイスを忘れないように書いておこうと思う。
「ビジネスを成功させるには、次の3つの鉄則がある。
“Be first、Be smarter、Cheat”
カズは最初の2つは大丈夫だから、あとは最後だね。この辺は中国人がとてもうまい。僕も前の会社にいたときは会社には内緒でインターネットビジネスをやっていたんだ。
僕の祖母は一昔前にすごく成功した経営者で、Landonっていうファミリーネームは祖母の家系のものなんだけど、彼女が僕によく言っていた言葉がある。どんなものでも売れるんだって。
これは僕がフォトグラファーをやってたときに関わっていたwebサービスで、観光業者向けにハワイとかリゾート地の写真や動画を販売するサイトなんだけど、このハリネズミの動画ひどいだろ?これ僕が撮ったんだけど、本当にひどいよね。でも売れるんだ。
このサイトは最初の年は購入してくれたユーザーは0で、次の年は10人だった。その次の年は50人くらいだった。
もうやめようってことにもなってたんだけど、徐々に写真や動画の素材も増えてきて、5年目あたりで一気にユーザーが数千人に増えて売り上げもそれなりの規模になって、最近他の会社に売却したんだよ。どんなサービスも売れるまでには5年くらいは必ずかかる。
これ見て、HDの最高画質のだと100ドル以上もして誰が買うのかって思うよね。でもほら、これを見ると12人も買ってる。
こんな動画でも誰かにとっては重要で、買う人がいるんだよ。」
銀行口座(Business Account)の開設が取得したTaxIDを使って意外にすんなりできそうなので、銀行でもらったパンフレットを読み様々な処理にかかる手数料に関して勉強した。
どうすればそれらのFeesを減らせるかという観点からまとめている。
ちなみに開設した支店はMarket Street沿いのChaseだが、ざっと調べた限り手数料ではBank Of Americaもほぼ変わらないという印象である。
またフランスでソシエテジェネラルの口座を使っていた経験から言えば、チェックの仕組みをもつ西欧の銀行の手数料システムはほぼ共通化されていると思われるのでアメリカ以外の国で口座を開設する際にも参考になるかもしれない。
ChaseはJPモルガン・チェイスアンドカンパニーの傘下にある銀行だが、JPモルガン・チェイス・バンクは2011年にバンク・オブ・アメリカを押さえ総資産で米国最大となった。
CitiBankという選択肢もあり、世界の多くの主要都市に支店があること、ドル送金が手軽にできるというメリットがあるが、
送金については銀行間取引よりもPayPalを経由する方が得策なので、米国内でのサービスを追求するならChaseということになるだろう。
以下まとめ。
1. 月々$15のService Fee
・口座内の平均金額を$7,500以上に保つ
・紐づいたクレジットカードで$1,000以上使う
・$50のqualifying checking account feeを払っている
・紐づいた個人口座がqualifiedである
– $7500以上常に入れておくのが確実
2. 超過引き落としが起こった場合のOverdraft Fees
・十分な金額を入れておく以外にない
もしこのFeeが発生すると、件数ごとに$34のInsufficient Funds Fee,$15のExtended Overdraft Feeなどそれなりに徴収されるので気をつけなければいかない
3.ATM,DEBITカード使用時に発生するFees
・基本的にChase以外のATM等を使うときに発生(ATM$2、Debit引き出し3%か$5の多い方)
・海外で引き出すと$5、通貨変換に3%
4.その他のFee
・預金される予定の取り引きが失敗(支払い側が残高不足など)した場合に$12
・チェックでの支払い取り消し処理$30
・200トランザクションを超えると1トランザクションごとに$0.4
・最初の$7500以外の追加デポジットに$1000あたり$1または$1.5
5. 送金
・米国の他の銀行からの転送入金は$15
・米国の他の銀行への転送は$30または$25
・他国の銀行とのやり取りは$45または$40
6. 特殊な処理
・口座への法的な措置への対応や寄付金など
7. ONLINE BANKING
・チェックごとに$14.99など
*Overdraft protection
Overdraft protectionを設定しておくと、チェックの預金額が足りないときに$10のプロテクション手数料が発生し、通常の預金から支払いを行ってくれる。
Chase.comのCustomer Centerから設定できる。
*Free Account Alerts
様々なFee発生が起こりうる場面でアラートしてくれる無料サービス。
Chase.com/freealertsで設定できる。
今月はロサンゼルスにあるスタートアップハウスに籠ってプログラムを書いている。オンラインスポーツネットワークのスタートアップを経営するジョーダンが、親戚が所有する別荘を最大十名程度が寝泊まりしながら作業ができるように開放しているもので、オフィスはプールやバスケットボールのコートがある庭の一角を占めるガレージを改造した部屋から1分足らずで行き来出来る場所にある。(それにしてもアメリカのスタートアップ関係者は本当にガレージが好きである)ロサンゼルスといってもワーナーが近くにある、かなり外れたところにあるので車を使わない限りどこにも行くところがない。サンフランシスコでは毎晩のようにスタートアップ関連イベントかまたはサルサに通っていたので、生活はがらりと変わった。来月は再びサンフランシスコに戻る。
日本のメディアにはセレブリティという概念がないと思う。むしろ格差を隠蔽して総中流を演出するのが日本のメディアの目的の一つだという指摘もある。例えば国内でも有数の俳優が街中の庶民的な店で飯を食い、上手そうな演技をする。たとえ本当に上手くとも、そこに据えられた意味は、私と君達は一緒だというメッセージである。
2000年初頭のITバブルの頃、初めてメディアの中にセレブリティが登場する。つまり大衆とは異質な存在であることを公に主張する者が現れる。新種の存在が現れるときには必ず象徴というものが必要で、六本木ヒルズはその役割を果たした。
要するに日本におけるITバブルの終焉とは、メディアの中でのセレブリティという存在を改めて否定し、高度成長期の旧来の価値観に揺り戻す儀式となった。運動会で全員手をつないで一斉にゴールをするという話があったが(想像しただけで気分が悪くなりそうだ)、皆で一斉に幸せになるというコンセンサスに希望を持てないのは、それが既に嘘であることに皆気づいているからだろう。ヒルズがITバブルの頃の新種のセレブリティを象徴したように、世代交代による新陳代謝を繰り返しながらいつの時代にもメディアに現れ続け、スーパーマーケットのゴシップ紙に顔が並ぶハリウッドのセレブのような存在は、たとえ世界が狂い始めようともこの国には新しい成功がどこかにあるということの象徴としてあり続けている。
「会社設立の基礎知識」
・取締役は株式保有者の人数に応じる。
3名以上保有の場合最低3名必要。
2名なら2名必要。
1名なら1名で可能。
・雇用者番号申請
個人でいうSocial Security Numberのような一社ごとに固有のナンバー
州に登録後、政府に登録
・法人登記簿コーポレートキットの作成
基本定款、株券発行、会社印など
・法人口座の開設
これには連邦番号FEINが必要
個人口座とは分ける
・ビジネスライセンスの取得
雇用者番号とは別。オフィスのある市で取得。費用は市により異なる
・ まず会社を設立してからVisa取得という手順になるのが通常の段取り。
「投資ビザ E2」
・十分な初期投資金
$100,000くらいあると良い
・オフィスを構えていること
・質の高い現実的なビジネスプラン
・申請方法
USCISにてステータス変更として申請
「H1-Bビザ」
特殊技能保持者。
在米企業での就業が決まっていることが条件。それ以外は大したことない。
申請時期は春、65000人まで。働けるのは取得後10月から。
「デラウェア州での設立」
・ネバダ州とよく比較される。
ネバダ州は取締役や役員のプロテクションが厚く、デラウェアは株主の権利保護に厚い。資金集めにはデラウェアが有利だと思われる。
・デラウェア州以外での利益以外には課税されない。
・毎年度特許経営税のみ課される
・設立まで最低1ヶ月はかかる
・アメリカに住む代理人が必要(設立エージェントに委託する場合サービスにインクルードされているのが普通)
・日本で法人として活動するには日本でも営業所登録をしなくてはならない。
・デラウェアで本社を登記した後で、日本に作るのは支社ではなく子会社の方がいいのは、決算処理の時に本社と支社を合わせて計算してから支社分を分けるという手間と費用がかかるから。
・日米租税条約により税金の二重取りはない
「デラウェア州で設立した会社の維持」
・年次報告
毎年3/1まで。$50支払い。遅延ペナルティあり
・州税(フランチャイズ税)
(1)授権資本株式数3000株以下なら$35。5000株以下なら$75。10000株以下なら$150。それ以上なら10000株増えるごとに$150追加。
または(2)株価×$350。
(1)(2)で安い方。
・州税(所得税)
デラウェア州内での事業活動に対し8.7%