明瞭な米国の雇用の概念

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NPRを聴いていてニュースキャスターがいくつの雇用、という言い方をしているのが気になった。USのメディアではしばしば、例えば失業率は7.9%に対し政府が169,000の雇用を追加した、そのために月々$85Billionの予算をかけている、AppleはAppStoreによって290000の雇用を生み出した、といった記述を目にする。こういう伝え方がされるのは雇用という概念に対してそれを一人分の仕事の単位で捉える価値観が前提にあるからだろう。一言で言えば客観的だ。

日本で雇用というと企業文化的な視点で語られることが多い。採用の時期を早める、定年の時期を早くする、非正規雇用を一定期間後に正規雇用に変えなければならない法案が可決される、こうした情報はどれも雇用される数が一定数ある中でどう調整されるかという流動性の問題であり、流動性の問題は企業文化に依存しているので結局ローカルかつ主観的なテーマに行き当たる。

例えば給与の多い年配層一人を早く退職させて若年層を数人雇うのが良いという主張は一見合理的でも、そもそも企業側が企業の論理と当事者の意思で決めることなので外部がこうすべきと言うのはナンセンスである。こうした誰が損をして誰が得をするというゼロサムゲームを解いたところで均衡に近づくだけで総和としてはプラスマイナス0だ。むしろ経済活動の発展に上限値はないのだから潜在的な仕事も無数にあり、仕事の絶対数を増やすことで問題を解決しようとする方が合理的だ。ちょうど家計において収入の使途の配分を調整することで解決しようとする問題は全て、収入を増やすことで解決するのと同じようにである。そしてこの時、雇用とは数であり、増やすものとなる。

雇用の問題が重要なのは生きることに直結しているからだ。雇用が増えることは社会にとって生き方の選択肢が増えることを意味する。だからあらゆる創業は明らかに有害であるものを除いて有益であり、事業家は雇用されれば-1になっていたパイをプラスに変えることで潜在的に社会に貢献しようとしている。

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