ノマド論にみられる最大の誤解
最近ではノマドやノマドワークという言葉が一人歩きしながらテレビなどでも話題にされるらしいが、多くの人が誤解しているのは、この言葉が「遊牧民」という言葉から派生しているというものである。
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そもそもの問題点として日本人はたとえ高学歴層であっても、米国の上位大学で義務的に課される習慣つまり古典的なテキストをあたる習慣がある人種はかなり希少なので、文脈から切り離された言葉の印象を基点とした議論に陥りやすい傾向があると思われる。
経済学者の池田信夫氏も度々ツイッター等で経済学用語の誤用に怒りを示しているが、抽象概念は歴史を背負って存在する、言葉が文字通り進化したものである以上、その言葉を定義づけるテキストを読まなければ本当の意味で正確に理解することは難しい。
そして議論は言葉を通じてなされるのであるから、特に抽象度の高い概念を用いる程、そもそもの言葉の定義がずれていてはまともな議論になり得ない。
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まずノマドという言葉を議論の俎上に乗せる前に、これが「超ノマド」という概念に由来していることを理解している人がどれだけいるのだろうか。
超ノマドとはフランスの経済学者、思想家でありまた初代欧州復興開発銀行総裁を努めたジャック・アタリの著作『21世紀の歴史』で記述される、情報化社会以降の現代において携帯可能なデバイス(ノマドオブジェ)と専門的な技能を駆使して土地に依存しないフロー型の生活を行う者のことである。
超と言うからには超でない普通のノマドという概念からの派生であるが、この場合のノマドも遊牧民を指しているのではなく、情報化社会以前の社会で移動を伴う生活を行っていた人種のことを指し、これは12世紀に会計技術の発明によって金融業が栄えたジェノバをはじめとする「中心都市」とその中心都市を巡っての大局的な人の移動という文脈とともに説明される概念であり、当たり前だが広辞苑で引いても同じものは出てこない。
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重要なことはデジタル技術の発達により、我々が社会の中で生み出すもののうち情報化できるものの範囲が広がったので、情報を効率よく伝達できる移動性のツールを伴って「土地という制約からより自由になる人種」が増えるということである。
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従って、ノマドという言葉を単純に遊牧民的なイメージとして語るのは、言ってみれば「オタク」を〜オタクのオタクと同一概念で語ることと同様、言葉の進化のコンテクストを無視した行為であると言えるだろう。